見出し画像

9歳年上の2人

なんだかんだで、気がつけば年末になっていた。
伝言ダイヤルで知り合った人とは、2回エッチして終わった。
相手が仕事でイギリスに行くことが決まったとのことで、12月初旬にバイバイした。
いろいろと海空先生と比べてしまっていた私。
会いたいけど、会える状態じゃないし・・・
海空先生がどうしているか、物凄く気になっていたけど、調べる方法が思いつかなかった。
現在(2023年)のようなインターネットとかなんてなくて、ポケベルが流行り始めた頃だった。
塾や大学院へ行けば、顔を見ることぐらいは出来たかもしれないが、その気になれなかった。
そのまま学校でも浮いた状態のまま、合唱だけが心の支えのようになっていた。
色の無いような日常を過ごし、1994年3月の16歳の誕生日は、フツーの1日で終わっていた。

1994年5月に、回転寿司のアルバイトを始めた。
海空先生に勧められた保母さん(保育士)を目指すためには、ピアノを習う必要があったため、そのレッスン代を稼ぐためのアルバイトだった。
そこで私の人生を狂わす出来事が待っていた。

毎週末、土曜の午後や日曜は朝からホールの仕事を頑張った。
エリアマネージャーの50代のおじさんからは、
「笑顔がステキでいいね~」
なんて褒められ、
「ありがとうございま~す」
なんて、満面の笑みで答えていた。
40歳過ぎたばかりの店長にも、よく褒めていただいた。
そんな中で、25歳のサブ店長に意地悪されるようになった。
カウンターを拭いていると、そこにわざと水を飛ばしてきたり、レジの中間売上を出そうとすると邪魔してきたり、洗い場で皿洗いをしていると、わざと水が跳ねるように皿をシンクに投げ込んできたり・・・
お盆期間中の繁忙期最終日にエリアマネージャーに呼び出された。

「稀琳ちゃん、いつもカバ(サブ店長)に
 意地悪されてるみたいだね。
 ごめんね。
 ちゃんと注意しておくからね!」
私は、そんなことを言われると思っていなかったから、真ん丸な目をしていたんだと思う。
「そんなにビックリしなくて大丈夫だよ。
 稀琳ちゃんがよかったらさ、アイツと仲良くなってほしいなぁ。
 アイツ、気になる子にはさ意地悪する幼稚園児と一緒なんだよ。」
「仲良くしてもイイですけど・・・」
サブ店長は、別に嫌いでも好きでもなかった。
エリアマネージャーは続けて
「明日、2人とも休みみたいだから、
 この券で映画でも見に行っておいでよ。
 とりあえずアイツに渡しておくからさ。
 12時に店の倉庫前においで!」
「あ、承知しました。」
とだけ答えて、帰った私。
あまり乗り気ではなかったが、観たい映画があったから待ち合わせ場所に行くことにした。

これは1993年末~1994年8月半ばのエピソード。
ここから私のブラック歴史がスタートしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?