pine door

常磐線快速が大幅に遅れた。
まあよくあることだ。東海道線内のホーム上確認の影響らしい。
常磐線各駅停車から快速に乗り換えようとしていた私は、松戸駅で18分間足止めを食らうことになった。21:55にキャンパスを出たのに、家に帰る電車は図書館閉館後の22:03に裏門を出た場合と同じということだ。がっかりした。この情報だけである程度居住地が詮索できるような気もするのだが、それはそれとして。

こういうことは日常茶飯事なので、普通は駅の待合室に座る。しかし今日はそういう気分にならない。広義の今日中に和訳しなければならない[تاريخ السودان]『スーダーン年代記』を読むべきだし、アラビア語を読むためにはiPadで辞書を表示させないといけないので、最低でも紙のテキストとあわせて2つ、多ければPC上の日-アラビア語辞書とノートを含めて4つの資料を見なければならない。つまり少なくとも立ったままではできない。
待合室の暖かさを享受するよりも先に頭にあることがあった。最近運動をしていない。ということで、とりあえず改札を出てみた。トイレの横から3-4番線へ降りる階段に面し、そこに書かれた注意書きに見入りながら、異化してもいた。

松戸駅3、4番線ホームの階段から。2023年12月31日 筆者撮影

西口も東口も私の裏庭というくらい慣れている場所なので、ここで外に出たからと言って何か新しい発見があるわけではない。特に面白いこともない。降りた時は、毎日学校と家の往復だから途中下車なんて久しぶりだろ〜と思っていたが、私の無駄な多動性と姑息なモビリティを侮るべきではなかった。

西口を出たら、ペデストリアンデッキにある市内の観光案内地図が目に入ってきた。自治体の代表駅の前にはほぼ必ずある地図だが、これを真面目に見ている通行人はいない。同じ千葉でも津田沼駅前は船橋市と習志野市が両方エリアに入っていて面白かったなとか思い出す。台形に近い形の市域で、南西に松戸駅がある。北の中心は新松戸駅だ。Wikipediaにも、市西部の中心は松戸駅、と書いてあった気がする。その他の地域では中心はどこなのだろう。やっぱり最近行った東松戸とかかな?

2023年12月31日 筆者撮影


Twitter(現X)のオタク界隈で、新松戸駅がイタリック体のnew pine doorと書かれるのをときたま目にする。駅名の英訳なんてして何が面白いのだろう?と思うが、新松戸については分からなくもない。でも私が新松戸の英訳に感じる面白さは、松戸をpine doorと訳すことへの面白さと等価である。当たり前だが、3単語の組み合わせが意表を突くという発想もあるだろう。さらに、Twitterでpine door単体は目にしたことがない。ならばここから積極的に使用に付して見ようではないか。
ところで略してNPDって、1Aセメスターで受けた政治学の授業に出てきたような…と思ったら、ドイツの極右政党Nationaldemokratische Partei Deutschlands であった。日本語だと国家民主党と訳されるらしい。

西口南側の通りを眺めた。奥には複合商業施設があり、深夜でも栄えている通りだ。せいぜい平日の夜に郊外の拠点駅で呑んでる労働者どもの悲哀でも汲み取っておくかと思ったが、その景色も見飽きてしまった。ペデストリアンデッキを渡った先にはカレーライス無料のネットカフェがある。松戸市を赤化していなければ泊まりたいところだが、2022年6月17日以降その意味がなくなってしまった。
階段を下りると、地下に町中華が入居するビルがあった。駅ビルも含めて松戸は柏より開発が一歩早かったというのがよく分かる。名前を見ると流鉄松戸ビルと書いてあった。2022年9月14日に私が乗り潰した、東京から最も近いローカル線とか呼ばれる路線を運行している会社だ。馬橋以北だけじゃなくちゃんと松戸駅前にも名前を冠したビルがあるんですね、新しい発見があった。

西口から南に伸びる通り。2023年12月31日筆者撮影。さすがに大晦日は閑散としていた。


流鉄松戸ビル。2023年12月31日筆者撮影

西口に最近できたエスカレーター…は使わず、その横の階段を上ってコンコースまで戻った。
まだ時間があったが、別に東口を見に行く意味もないので、松戸駅から伸びる新京成線の切符売り場にあてもなく行った。昭和レトロが残っていて楽しいのだが、券売機の上に掲示されていた路線図はなくなっており、小さな路線図があるだけだった。そんなに頻繁に値上げするのか、老朽化しただけなのか。運賃を眺めながら、やはり常磐線沿線から千葉市まで行くには新京成が安いよな、と思った。八千代市に行く時に北習志野で乗り換えたことも思い出した。重ねて言いますが居住地を詮索しないでください。

2023年12月31日 筆者撮影


新京成の昭和レトロな部分。2023年12月31日筆者撮影。


結局東口には出ていない。ホームに降りて、1分後に来た電車に乗った。自分でも15分でこんなに色々散策できるんだ、と思った。ロールズのいう身体的・自伝的内側性がある、よく知っている場所では、時間に対する満足度の増加分が小さい。ぶらぶらしてるだけで出会うセレンディピティとか文化地理学的なderivéが少ない。だから人がそこそこ住んでいるが大きすぎもしないという旅行先の駅で15分間途中下車する時よりも、何もしていない感覚は強い。
松戸のように、宿場町としての深い由緒を持ちながら、それが多極分散型市域の複数の拠点のひとつでしかなくなった駅、そしてその市も世界最大の都市圏の1パーツ、中心からも周辺からも外れたパーツになった駅では、消費と企業活動が生み出した画一化のメカニズムに回収されすぎて、結局都市のセクターの中でそれぞれの下位中心地を明確にdiscernできていない。
23時をすぎた松戸では、明らかにひどく酔った男女が別れを惜しむのが名物である。常磐線のイメージに違わない(他の通勤路線を語れるほど使ったことはないが)。前述した栄えている通りも、北千住のものの方がインパクトもあるし、エスノグラフィー的にも価値がある、たぶん。'ithnāni(アラビア語で数字の「2」)を辞書で調べた時に近くにあることで個人的に知られるのは、エスノロジーの方だった。

つまり松戸は没個性化されている気がしてならない。本『ジョーバンセントリズム』でも、柏は大々的に取り上げられたが、松戸は素通りだった。それだけではなく、その人工圧と、49万6000とか8000とか言われる数字の威圧感と、比べてという話。でもいい話もある。Pine doorとは粋なネーミングだ。

2023年12月31日、家で『紅白歌合戦』が流れる中、やり残した仕事をどうしてもできないので電車の中でしようと思い、22すぎに常磐線に飛び乗った。そうしたら、10日くらい前にこのnoteを書きかけで放置したのを思い出し、特に降りる駅を決めてもいなかったので松戸で降りた。この時期、年中行事を大切にする家の戸には門松がつけられているのだろう。こういう普通名詞の単語と地名の接続は、地名を英訳することで思いつきやすくなる。Twitterのみなさんありがとう。ついでに撮れなかった写真を撮り、400文字だったこのnoteを3000字を超えるまで書いた。

結局『スーダーン年代記』はあの日の夜3時までかかって翻訳し、それを発表するのは翌日の授業…となる予定だったのだが年明けになった。これでnoteの2ヶ月連続執筆実績も手に入る。別に満を持して年越しができるというわけではない。今年中に書くはずの部活の引き継ぎ資料はまだ書けていない。そのために大晦日の夜に電車に乗ったのに…まあ私にとっての新年はGMT基準なので気にしなくていいか。

少しでもわたしの頭の中とか生きづらさの部分が伝わったら嬉しいです。良いお年をお迎えください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?