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ひとりごと 〜勝負論。誰に対して何に対して勝ちたいの?

人生の豊かさを論じる場合に
「勝ち負けじゃない」ということが
よく取り沙汰される。
「誰かに勝ちたい、だけが幸福の線引き
の場合、その誰かに勝ったところで上には上がいる。
だから永遠に幸福は手に入らない」などと言われるものだ。

「他人との比較なんて意味がない」
子供の頃からよく言われてきた。
主に道徳の教科書とか、学校の先生の話だとか、
そういう場で主に披露されるタイプの話。
学校の先生はそういう話を生徒たちに説きつつも、
家に帰れば自分の子供には一流大学へ進学させるべく
尻を叩いているかもしれない。
もちろん当人自身も
偏差値の高い大学へ入るために猛勉強をしたり、
他の同僚教師を出世で出し抜きたい、とか
そういう願望だってなくはないはずだ。
しかし、本音はともかく建前では
「人生は勝ち負けじゃない」と
公言したりするケースは多い。

自分の場合はどうか。
10代くらいの頃は
そういう声は耳には一切入らなかった。
「そうですね」くらいの相槌は打っていたものの
若者にはそういう声は届きにくい。
あいつよりもモテたい、力を得たい、
学力でも勝りたいとか、
どうしても優劣にこだわりたい場面が多すぎるからだ。

それは実際、大人になってからも続く。
いい会社への就職、
美人の嫁、優秀な子供、
家の購入…。
気にし出せばきりがないほどの
優劣付けポイントはいくらでも出てくるものだろう。

いつ頃から、とは言い難いものの、
私はそういう優劣付けレースからは退却した。
「退却」はカッコ良すぎるかもしれない。
「レースにエントリーできないだけだろう」
それも図星といえば図星だ。

しかし本当に
「そんなことどうでも良いんじゃないか」と
思い出してきているのも事実で、
そういう世間体にしがみついて生きている
人たちを見ると、逆にかわいそうに思えてくる時もある。
そんなに対面が大事なのか、と。

「自分が本当に今したいこと」にこだわりたい。
コロナ禍を経てきた今だからこそ、特に思うのかもしれない。

とは言うものの「やはり勝ちたい」と思う感情は少なからずある。
それは他者ではなく自分に対して。
自分の心の弱い部分に対しては勝ちたいのだ。

だからこれからも勝負はする。
他者との勝負はしない。
自分との勝負だけをやるつもり。


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