マガジンのカバー画像

【 自叙伝 】自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅

33
自叙伝を綴ろうと思ったそもそもの動機は、うまく通じ合えない両親に対し、如何に私自身の「心の風景」を伝えるか…と言うただその一点だった。当初は手紙程度で納めようと考えていたものが、… もっと読む
運営しているクリエイター

#異動

(1-1)初めての高野山【 45歳の自叙伝 2016 】

初めての高野山  初めて高野山を訪れたのは湾岸戦争のあった19歳の九月だった。当時バイト先で嫌な事があって一人で十日間ほど紀伊半島を旅していた時だった。  橋本の駅舎で野宿をし、朝一番の電車で高野山を目指す。まぁ、せっかく近くに寄ったのだから、母が常々口にする高野山と奥の院を見てみよう…と、深い動機もなくほとんどが観光気分だった。  南海の各駅停車は霧に包まれ、急な勾配とカーブをキュルキュルと車輪を鳴らして上って行った。ケーブルカーで高野山駅に着く頃にはだんだんとその

(3-10)転職に向けて【 45歳の自叙伝 2016 】

父からの話  父に相談すると少し気持ちが落ち着いたようだった。何か変わるわけでもなかったが、気持ちが落ち着くと、不思議と再び仕事に打ち込もうとする自分もいた。その時は聞いてもらうだけでも良かったのかも知れない。ただ、心の底では「このまま終わるのは御免だな…」という思いが常に横たわっていた。この思いはときに大きく湧いて、ある種の現実逃避のよう感覚にもなっていた。そうなるとまた父に話を聞いてもらうのだった。  しばらくして父は「少し待っていろ、今、PCBが動き出しているから、

(3-9)店長の日々③ 転機【 45歳の自叙伝 2016 】

懐かしい感覚  数年ぶりの町田の店はカジュアルなパスタ屋となって、喫茶事業からレストラン事業に店籍が移っていた。外観や店内は大きく変わっていなかったが、厨房の設備が大幅に変更されていて、ちょっとした料理も出せるようになっていた。雰囲気としては、レストラン事業に来て最初に担当した欧風料理の店に近かったが、数字を見てみると、町田店は利益を出せず低迷していた。  まずは利益を出せるようにしないと…と思うのは当然だった。そしてその為に、まず自分自身が接客の楽しさをもう一度取り戻そ

(3-8)店長の日々② 挫折【 45歳の自叙伝 2016 】

駅ビルの大型店舗  百貨店の地下にあった欧風料理の店 での勤務も一年近くになった頃、再び異動の命令が下った。次は新宿駅の駅ビルにある、100席を超える客席を有した、予算月商 1500万円近くになる、社内でも指折りの大きな店舗だった。この駅ビルの店はイタリア料理を出していたが、既に開店して三年目となっており、なんとその開店以来、毎月売上が落ち続けていた。この店は売上の回復が急務であり、早急なテコ入れを会社は要求しているとのことだった。  しかし、この店に異動して最初の月末に