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官僚方士と美しき宦官の事件簿 第7話

七 李智蕭(りちしょう)
「こちら、李智蕭様です」
 広がそう紹介したのは、妓楼で客の袖でも引いていそうな、蓮っ葉な印象の美少女だった。後宮には妓楼から連れて来られた娼妓もいると聞くので、実際客を取っていたのかも知れない。年は十二、三歳くらいだろう。結い上げた長い黒髪を三つ編みにして、丹桂で飾っている。瑞々しい若葉を思わせる翠緑の襦と裙に覆われた体は小柄だったが、その足捌きは驚く程軽やかだった。
 この少女はさぞ見事に舞うのだろうと思いながら、私は冏と共に立ち上がって自己紹介と揖の挨拶をすると、智蕭に板独座を勧める。智蕭が板独座にちょこんと座ると、私も冏と並んで腰を下ろした。広が持って来た茶杯を智蕭の前に置き、奉仙に出した茶杯を下げて出て行くと、私は静かに唇を開く。
「突然お呼び立てして申し訳ございませんが、亡くなった金英様のことで、少々お伺いしたいことがあるのです。よろしいですか?」
「いいよ。でもあたし、あの人とそんなに仲良かった訳じゃないんだ。だから大したことは答えられないから、そのつもりでいてね」
 智蕭は見た目の印象そのままの、お世辞にも上品とは言えない口調でそう言った。高級な娼妓はそれなりの教養も備えていると言うが、智蕭の話し方からして、本当に娼妓だったとしてもさして位が高い訳ではなかったのだろう。
 私は口火を切った。
「金英様と揉めていた人に心当たりはありませんか? 誰かと言い争っていた、何か困っていた様子だった、そんな些細なことで結構なのですが」
 智蕭は口元に指を当てると、少し考えてから答えた。
「揉めてたって言うか、あの人玉環様に苛められてたし、一緒になって苛めてる人達もいたよ。玉環様、性格がきつくて、好き嫌いがはっきりしてる人だから」
 智蕭は他人のことばかり話して、己自身のことは何も話さなかった。もしかしたら智蕭自身も玉環の行いに加担していて、それを伏せているのかも知れない。智蕭が金英にした行いを意図的に伏せているのであれば、きっとその行いを恥じているのだろうし、事件に関係してさえいなければ、私には関わりのないことだ。追求したところで、只の嫌がらせにしかならないだろう。
 私は質問を変えた。
「では、春燕様の他に金英様と親しかった方をご存じありませんか?」
「えー? ちょっとわからないなあ。あの人といたら、絶対玉環様に目を付けられるから、あたしはあんまり関わらないようにしてたし、みんなもそんな感じだったし……」
 智蕭の証言は、春燕と奉仙のそれとほぼ同じだった。
「念のために確認させて頂きたいのですが、昨日金英様が連れて行かれてから、今朝亡くなったと知らされるまで、どうされていました?」
「えーと、大広間で夕餉を食べてから、自分の房間に戻ったの。それから寝る支度をして、飼ってる蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声を聞いてた。あの声を聞いてると、落ち着くから。でも寝付けなくて、結構遅くまで起きてたかな。あたし、前は夜の仕事をしてて、ここに来てからまだそんなに日が経ってないから、夜なかなか寝られないんだ」
 どうやら、智蕭は本当に娼妓だったらしい。それなら夜起きているのが当たり前だろうし、何より智蕭はしっかり私の目を見て答えていて、嘘を吐いているようには見えなかった。だが人を上辺で判断すると、真実から遠ざかるかも知れない。
 私は慎重に、次の質問を口にした。
「夜の間、ずっとお一人でした? 失礼ですけど、恋人はいらっしゃらないのでしょうか?」
「うん。ずっと一人だったし、恋人もいないよ。あたし、男の人が好きだしね」
 智蕭の言葉が全て真実とは限らないが、誰かと一緒であったなら、身の潔白を証言して欲しいと思うのが人情だろう。あるいは智蕭こそが下手人で、恋人と結託して金英を殺したからこそ、その存在を伏せているのだろうか。最も怪しいのは玉環ではあるものの、由や門番達を抱き込めば、金英を殺すことは智蕭にも可能な筈だった。
「玉環様、春燕様、奉仙様のお房間から何か物音は……人が出入りしたりしていませんでしたか?」
「私の房間、玉環様の房間の右隣で、私の房間の隣が春燕様の房間なんだけど、春燕様はいるんだかいないんだか、わかんないくらい静かだったよ。玉環様は、最近贔屓にしてる宦官とお楽しみだったけど」
 玉環に関する智蕭の証言は、奉仙のそれと一致している。恋人と呼べるような睦まじい仲であるかどうかは置いておくとして、玉環に枕を共にする相手がいるのは事実のようだった。
「そのお話、間違いありませんね?」
 私がそう念を押すと、智蕭は小さく頷いて言う。
「玉環様が房間から出て行く足音がして、少ししたら宦官と一緒に戻って来たの。房間の方に来る足音に気付いて、扉の隙間から見てたから、間違いないよ」
 単に音を聞いていただけなら、別の房間の音を聞いただけということも考えられるが、わざわざ扉を開けて姿を確認したなら、間違いということはないだろう。この証言自体が嘘だった場合には、その限りではないが。
「その宦官の名前は、わかりますか?」
「名前はわかんないけど、夜に茜門の内側で門番をしてる人だよ。結構整った顔立ちで、年は多分而立くらいかな。何日か前に全然眠れなかった時があって、暇潰しにこっそり後尾(つ)けて、確かめたんだ」
 ということは、その宦官は職務中に持ち場を離れていた訳で、事が明るみに出れば処罰は免れないだろう。もしかしたら、玉環も一緒に罰せられるかも知れない。玉環が嘘を吐いた理由はそれだけで、人殺しの罪から逃れようとした訳ではないのかも知れないが、疑うには十分な理由だった。
「その宦官が、いつ頃玉環様のお房間を出たかはおわかりになりますか?」
「わかんない。横になってる内に、いつの間にか寝ちゃったし」
「そうでしたか……」
 私はつい落胆を声に滲ませたが、落ち込んでいても仕方がない。すぐに気を取り直すと、次の質問を投げ掛けた。
「朝起きてからは、どうされていました?」
「支度してから、朝餉を食べに大広間に行ったよ」
「その時、玉環様と春燕様、奉仙様のお姿はご覧になりました?」
「眠くて頭がぼうっとしてたから、間違ってるかも知れないけど……私が行った時にはもうみんないた、と思う」
 智蕭は自信がない様子で、歯切れ悪くそう答えた。智蕭の話からして、あまり眠れていないのだろうし、朝が苦手でも無理はない。
 私は次の質問に移ろうとしたものの、智蕭の唇が動くのを見て、口を閉じた。
 智蕭が言う。
「朝餉を食べ始めてから少しして、あの人が殺されたって知らせが玉環様のところに入ったみたいで、春燕様が玉環様に詰め寄ってたし、みんなざわざわしてた。『鬼が出た』って聞いたけど、本当なの?」
 智蕭は迷信を信じる手合いのようで、少し気味が悪そうにそう尋ねてきた。私は智蕭を安心させようと、口の端に笑みを乗せて言う。
「今はまだ、『わからない』というのが本当のところです。ですが、もし鬼が出て来ても、私が退治しますので、どうぞご安心下さい。私は方士ですし、これでも強いのですよ」
 とは言っても、強さを証明することは難しいが、方士であると証明することならできる。
 私は几の上で手の平を広げて目を閉じると、光の神に助力を願った。瞼越しに光を感じて目を開けると、手の平の上に光の玉が浮かんでいる。その光に照らされた智蕭は、心の中までも照らし出されたように明るい表情になって言った。
「方士様の術なんて、初めて見た。綺麗だね」
 私は智蕭ににこりと微笑んでから、光の玉を消すと、また質問を口にした。
「もう一つお訊きしたいのですが、春燕様や奉仙様に恋人はいらっしゃいますか?」
「特にそういう噂は聞いたことないけど、あたしあの人達とも仲いい訳じゃないからなあ。春燕様は優しそうだけど、ああいういかにも育ちが良さそうな人って、ちょっと苦手なんだよね。今まで周りにいた人と違い過ぎて、何話したらいいのかよくわかんないし。奉仙は怖い人じゃないけど、何だか私のこと嫌ってるみたいだし……」
 奉仙から嫌悪を言葉にして伝えられた訳ではないようだが、それでも自分に向けられている感情を正しく把握している辺り、智蕭は人の心の機微に聡いところがあるようだった。様々な人間を相手に商売をしていると、自然とそうなるものなのだろうか。
 私はそんなことを考えながら、冏を見た。
「冏は、何か訊きたいことある?」
「いえ、もう十分かと」
 手を止めた冏が、顔を上げてそう答えると、私は智蕭に言う。
「ありがとうございました。もうお帰り頂いて結構ですが、私達が金英様の死について調べていることは、伏せておいて頂けますか?」
「わかった。じゃあね」
 智蕭は、跳ねるように立ち上がった。

 智蕭が出て行くと、私は筆を置いた冏に尋ねた。
「冏は、智蕭様をどう思う?」
「こう申し上げては失礼ですが、あまり知的な方ではないという印象を受けましたから、上手に嘘を吐くことができるとは思えません。智蕭様は金英様には近付かないようにしていたというお話でしたし、春燕様と奉仙様の『玉環様を怖がって、金英様とは距離を置いていた』という証言とも合致します。その他の証言にも矛盾はありませんでしたから、少なくとも証言された範囲では、嘘はなかったのではないでしょうか?」
 冏が言うように、辻褄が合わない証言はなかったし、多分智蕭は嘘を吐いてはいなかったのだろう。
 その点に異論はないが、私は言った。
「嘘は吐いてないとしても、自分の罪を隠していないとは言い切れないのよね。玉環様達が全員、朝餉の時間に大広間に来ていたのは確かでも、金英様が殺害されたのが朝餉の時間の前だったり、玉環様達と手を組んだ誰かが、金英様に手を下したっていう可能性もあるし」
 金英が殺されたのは朝方の可能性が高いが、それがいつかはっきりしない以上、私達はもしかしたら全くの見当違いをしているのかも知れなかった。
 私はあれこれ考え過ぎて重たくなってきた頭を、几に頬杖を付いて支えながら言う。
「『どうやって門番達に見られずに楽器保管庫に出入りしたか』っていう謎は、下手人が由や門番達を買収して、都合のいい証言をさせているとしたら説明が付くけど、不可解なことはまだあるわ。どうして、柘榴が金英様の胸元にあったのかしら?」
 私が深読みし過ぎているだけで、あの柘榴は金英の死とは無関係なのかも知れないが、どうにも気になる。私にはどうしても、柘榴が胸元にあった理由が思い付かなかった。
「ねえ、冏は金英様が柘榴を持ってた理由、何だと思う?」
 私がそう問いかけると、冏は少し間を置いてから答えた。
「……少なくとも、召し上がるつもりで忍ばせていた訳ではないと思います。春燕様の証言では、金英様は夕餉を碌に口にされていなかったそうですから、きっと空腹だった筈ですが、それでも金英様は柘榴を口にされていませんでした。となれば、何かの符牒でしょうか。あの柘榴の意味がわかる相手と、何かの約束事をしていたのかも知れません」
 符牒というのは盲点だったが、確かに有り得るかも知れない。わざわざ符牒でやり取りするような相手と、どんなやり取りをするつもりだったのか。もしかしたら、金英は既にその相手に会っていて、その相手によって殺されたのかも知れなかった。
 私は思考を一段落させると、小さく溜め息を吐く。
「さっきから仮説はあれこれ増えてるけど、『これは有り得ない』って可能性を排除できるものが、なかなか見えて来ないのよね」
「おっしゃる通りです。これから、どうされますか?」
「そうね。とりあえず、昨夜の門番二人をまとめて連れて来てくれるかしら?」
「二人まとめて、ですか?」
 冏はわずかに眉を上げると、意外そうに訊き返してきた。
 今までは一人ずつ話を聞いてきたので、冏が戸惑うのも理解できたが、私は前言を翻すことなく言う。
「そうよ」
「畏まりました」
 冏は私に考えがあることを察してくれたらしく、それ以上は何も訊かずにそう言った。

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