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芸術学を学んで 

2021年に入学した京都芸術大学通信の芸術学を2024年3月に卒業しました。3年次編入とはいうものの、初めて挑戦の芸術学なので、2年で卒論は難しいと思い、3年間をみていました。3年あれば卒業できるとは思っていたけれど、ここでの学びが自分にとって満足いくものになるかどうかという点で、常に自問する時間だったように思います。
結論から言えば、芸術を学んだことはとても有意義でした。
一つ目は、芸術を捉える眼の解像度が上がっていること。
二つ目は、自身の思考における解像度が上がっていること。
三つ目は、自分を取り巻く人との関わりが変化していること。
それらの効果をもたらしたこの学びの3年間と、ここからの学びの時間について、備忘録としてまとめていきたいと思います。

【大学で芸術を学ぶことになったのは・・・】
なりゆき、です。友人に「一緒に大学生になろうよ」と言われて。
もちろん、美術は美しく、面白いと思っていましたし、よくわからないところが魅力的だとも思っていました。
ただ、パリに8年もいたことがあって、ルーブルやオルセーで大量の名作を目にして、その感想が「すごい」とか「きれいだ」とかそんなことしか浮かばない自分がもったいないな、と思っていたところがありました。美術鑑賞のコースとか出ても、部分的な知識は得られるのだけれども、そこで何が起こっているのかがわからないという消化不良が気になっていました。
「大学で学ぶ」という選択肢が現れた時に、大学での学びだったら、それが解消されるのではないかと思った私がいました。
そして、2回目の大学生もかっこいいかも、と思うアカデミックであることに憧れる私がいたことも確かです。


90年代、最初の学びはここだった。

【通信教育で学ぶこと】
通信教育は、私に合っていたと思います。
「書籍や文献を読んで、レポートにする」この作業が好きです。
レポートが得意なわけではないのですが、読んだものを消化しながら、どんなことを書こうかな、どうまとめようかな、と考えている時間がたまらなく好きっだったりします。散歩しながら、電車の中で、ぼんやりしているようで、その時は、頭の中でもう一人の自分と対話しながら考えています。そして、何かが閃いて、若干の興奮状態に。それらを文字に。文字にするアウトプットで自分の知識の層が厚くなった実感が生まれ、達成感に。
ただ、「評価される」ことに萎えることもあります。もちろん、得意ではない分野があるのもわかっているのですが。それでも、そういう時のちょっと頑張れなくなるような気持ちも、今思えば、面白いかなと。今までの私の優等生気質が悉く学ぶ自由を阻害していたのかもしれない、などという発見があったような気もするし、それが、私の面白いところのようにも思うし、自分の再発見もできる学びでした。ただの開き直りかもしれませんが。


2022年9月 パリ 旧証券取引所 安藤忠雄

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