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花とか、山とか、草とか世界平和

(注:Twitterに載せた文章に加筆、修正をしたものです。)

今、私がドローイングで気を付けていることは、ペインティングにも流れてきていると思っています。なので、これからも沢山、沢山、ドローイングしたいです。そして、観ていただきたいです。

絵を描くときに思うことは、空気を含ませること、無駄を削ぎ落とすこと、切ったら血がにじみそうな、そんな距離を考えることです。

山や草、花は岩手に戻ってから入れ始めたモチーフです。自然と視界の中に山や草花が戻ってきたので、そのまま絵にも写り込ませました。やっぱり生きるのはここなのかもな、と思いました。それは私のなかでは自然なことでした。

特に決まってこの山を描いている、この草花を描いている、という決まったモチーフはありません。いつも目に入ってる近くの山とか、草取りの時に頑張って抜いた草花とか、結婚式に参加してもらった花とか、思い出したりして描いてます。そのモチーフが綺麗だなあと思ったから描いたので、何山だからどうだとか、あの草花だからどうだとか、そういうのはありません。綺麗で大きくて、良いと思ったので、その輪郭というか、私とのそのときの丁度良い距離感だとかを、描きたいです。綺麗だと思えたものと私とのそのときの空気を含ませて残しておきたいです。

そういうモチーフをすんなりと絵にかきこむようになったのは、自分の中のひとつの変化かなあと思います。これから、描くモチーフも増えるでしょう。良いものになりたいし、良いものを作りたいという気持ちは変わりませんが、絵を描くことが前より苦しくないです。その過程も楽しいです。それはとても素敵なことだと思います。どうせなら、平和な作品を作りたいです。

そもそも、絵を描くことは世界平和なのでしょうか。絵の具でかいたら水が汚れるし、紙も使う。良いものを良いものを、と思い詰めると苦しくなる。矛盾が生じる。でもそれは割りきるしかないと思っています。悩み抜くこととか、考え抜くことは、その代償であり、生きたくない私が生きる命そのものに対する償いでもあると考えています。


正直、私がどんなに頑張っても、世界は変えられないし、平和にならないと、ひとりの限界を感じました。でも、そこで手を引いたらなにもしていないことになります。悩み抜くこと。考え抜くこと。重要なことです。

噛み合わないことを書いたのかもしれませんが、そういう気持ちが今強いです。

私の絵は技術も思想も何もかも稚拙です。だからこそ、考えることが悩むことが必要だと思います。

ありがとうございました。
しめなおします。
しまっていきます。