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不安な時には

osakedekibunngawarui.
一人でいると一日に一回は絶対不安な時間がやってくる。
そんなとき私は携帯を開いて、自分の好きな動画や流れてくるショート動画で時間が過ぎるのを待とうとする。けど、みれば見るほどにつかれる。いろんな情報が入ってきて自己肯定感が下がる。悪いときには、不安が増強する。
不安とさみしいは似ている。不安を紛らわすために誰かと一緒にいたいと思う。一人で生きていることが怖くなる。
最近誰かか、誰かが話していた。“一人でも大丈夫だ。”と思えるのは一人じゃなくなった時だと。もちろん例外もあるカモ知れない。
私は結構、この説に納得している。
いつものように若いころの回想を始める。中学や高校の時の自分は一人ぼっちだったような気がする。友達はいた。家族も、たまには恋人も。けれどどこかで気を遣っていた。書いていて気が付いた、自分は私なりの生き方が少しずつ見えてきたこと。
生き方を見つけるためには、出会う必要があると思う。出会うって、進学でも、友達でも、知人でもなんでも。私は今まで出会った人たちにやさしくしてもらったことで私なりの生き方を見つけてきた。逆もしかり、ばかにされたり、怒られたり、ひどいことされたりネ。
許されること。そんな表現したら罪でもおかしたんか!とでも突っ込みたくなるけどそうじゃなくて。自分の存在を認められること。これすごく大事なんだなって最近思う。そして大事なのは、許されてるってマインドでいること、私はこのおかげで調子こかずに日々平穏を遅れているのかもしれない。
あっれ~、不安な時についての話じゃなかったけ?内容だいぶずれてるけど文章に起こすと整理できるって、実際こんな感じなのかもしれないネ。
もう朝になるけどずっと眠れない。眠れないなら無理に寝ない。そう、ここから本題。眠れないときに携帯を触るのはやめる。そして自分のすることをやる。日々やらんといかんことは、結構いっぱいある。
んー、頭つかったらおなかすいたや。どーしよっかな、ダイエット中なんだよな。すっぱ煮もきんぴらごぼうも作って、言ってることとやってることがぜんぜーんちがうとよ。

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