I didn't want to hurt you...
私はネガティブでシニカルで、ときにニヒルな考え方をします。それが自分の根底にあるものだと思っています。多分に言葉端に出てしまうので、それなりに意識して言葉を発しているつもりなのですが、それでも不意に他人を傷つけていることがあります。書き言葉だと目に見えるから、あとで自分の言い回しを省みてとても落ち込みます。会話などは目に見えないから、なんか余計なこと言っただろうかと不安に苛まれます。自意識過剰ですね。
親しい人や、親しくなくても仲良くなりたい人に対しては、慎重さが減じる反面、挑戦的、挑発的になっているみたいです。別に敵意を持っているわけではないんです。そのままの自分を出して、受け入れてもらえるかを試したくなるんです。きっと。好きな人に「好き」ではなく、いきなり「バカ」と言ってしまうようなものです。素直じゃないとはこういう事なのだなと我ながら呆れてしまいます。
ネガティブでシニカルでニヒルなのが自分のベースだというのが、単なる思い込みだといいのですが、自分以外の何かに対して、いつでも否定的な側面を見てしまうのはやはり本性だからなのでしょう。
嫌われたくないけれど、自分の中から出てくる負の衝動を抑えていると益々内側がどす黒くなるばかりで……。そういうものを投げつけたり、なだめたりする為に日記をずっと書いていました。あ、今も書いています。手書きで。最近ではドロドロ加減がようやく薄くなってきたかな、という感慨です。考えることは好きで、習慣化しているのですが、どうしても自己中心の堂々巡りになってしまう。そこでずっととぐろを巻いているだけで、主観から逃れられないんです。そもそも主観以外の見方があるのか? 客観的と言うけれどそれは「誰かの主観」でしかないのではないか?(客観は主観の反意語ではないのかもしれない)……とこんな感じで、一向に話が外に開かれないのです。自分の考えと向き合う時間は誰とも共有できないものなので、大切にしたいのですが。
自分の発言が元で誰かに嫌われるかもしれないなら、決まり文句を予め用意して、完全防備で会話などに臨むといい。でもその決められた文言を自分が発したら、相手がどういうリアクションをして、で次の言葉は……とまた独り善がりに陥ってしまう。目の前の人との会話を楽しめなくなる。私の語調はキツイからこれは言ってはいけない、ここはセーブすべきだと自制をしているうちに口数がどんどん少なくなっていて、結局何を話したんだろう? という場面が何度もありました。自分がというよりも、発せられなかった言葉たちがすごく可哀想になってきて、居た堪れなさが募りました。
行き詰ったので、ちょっと外に出ました…(笑)。
言わなくていい言葉ってあると思うのですが、表現されるべきではない言葉は存在しないと思います。自分の言いたいことを言えばいいし、書けばいい。自分の頭の中に渦巻いて、出てこようとしている何かに沿った表現をできるように鍛錬しないといけませんね。人に嫌われないようにする為にも…⁈ (笑)
最近の疑問は、私は自分を受け入れてもらいたいと強く思ってきたけれど、果たして私は他人の言動をどれほど受容してきただろうか? ということです。先に挙げた自分の性質から、きっと他人に対して寛容ではなかっただろうと思うのです。厳しいというか、許容範囲がすごく狭いのではないかと。寄る方ないと感じながら生きている私が今さら…そこを広げられるのか…。
多様性が叫ばれて久しい世の中ですので、頭では「チガイヲウケイレル」ことを理解しているつもりでいますが、他人は自分とはちがう、違っていて当然なのだと思うことはなかなか難しい。それこそ色んな人と出会って体得していくしかないのかもしれません。主観から離れるのにはまだまだ時間がかかりそうです。
自分がどういう人間なのかを披露するのは、肩が凝りますね。
そして自分のことがよりわからなくなってしまいます。自分でもわからないのに、他人に理解してほしいだなんて、困ったものです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
また追い追いこのようなことが書ければと思います。
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