見出し画像

私と声までの道のり~振り返り


先日、保育園の卒業文集を開いてみて驚いたこと。
それは「将来の夢は歌手になりたい」と書いてあった。

正直この夢にびっくりした。

子供の頃から海外に興味があり、語学学習や国際協力などの分野に没頭し、38歳まで正直「声」とはほど遠い人生を送っていたからである。

当時を振り返ってみると、確かに私は歌を歌うのが大好きな子供だった。小学校時代、合唱コンクールでソプラノリーダーに抜擢された。そういえば、合唱団に入りたいと親にせがんだが反対され、泣く泣く断念したこともあったっけ・・

当時のひとり遊びは、マイクで歌を歌うこと。
歌を歌うことが楽しくて仕方なかった。

それから、人前で文章を読むことも大好きだった。
国語や英語の音読が得意で、積極的に手をあげて音読していたし、中学時代は英語のスピーチコンテストにも出場した。

大学卒業後、銀行に就職。初日に出社した時、先輩から言われた一言。

「電話でお話した時に、声が明るく明瞭で、会う前から好印象だったよ。」

その後、「〇〇支店に電話すると感じの良い子が出る」と各部署からのお声が支店長の耳に届き表彰されたこともあった。。

その後1年の留学を経て、25歳で結婚。
結婚後、夫が上海に転勤となり、海外に住みたいという私の夢が叶い、晴れて「駐在妻」となった。

念願の語学学習し放題。

中国語へ没頭する幸せな日々を送っていた。

その頃、某中国語音読会の主催者の方から「いい声だから、ぜひ参加してほしい」とのお誘いを受けた。それは、自分の音読を録音し、その音源をグループ内のサイトへアップし、参加者であれば誰でも聞けるというものだった。

思い返せば、これが初めて自分の声をきちんと聞いた時でもあった。

この練習を通して、録音した自分の声を何年も聞き続け、自分の声や発音とじっくり向き合った時期でもあった。

このときの私は自分の声をいいと思ったこともなかったし、「声」で何かをしていこうなんて、これっぽっちも思ってなかった。

大好きな語学に没頭できる幸せ。

憧れだった海外生活を送れる幸せ。

専業主婦でなんら不満もなかったし、このまま子供を産み、子育てしながら空き時間にパートをして、家族のために生きる主婦になるんだろうなと思っていた。

と思ったら、その後の人生、色々なことが起こった。

色々な出来事が「声」に繋がるまでの期間、それはそれは長くて、しんどい道のりだった…

頑張っても頑張っても前に進まず、何度途中で全てを投げ捨てたいと思ったことか・・・・

でも、踏みとどまった。

希望をあきらめずにじっと待ち続けることが、暗闇のトンネルを抜け出す最短の道のりだと思ったからである。

ここから私の人生を大きく変える出来事と、「声」のきっかけを与えてくれた方々との出会いが待ち受けているのである。 

「私と声までの道のり~停滞期」につづく




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?