つれづれ杏子 #024
珍しい。1週間ぶりに書くなんて。
近所の木蓮が今にも咲きそうだったよ。
#023でも「うまくいかない」って書いてたけど本当に最近詰んでる感がある。鬱から漸く這い上がってきて仕事には前向きになったけれど、それでも。私の生活にうすく、たしかな「虚しさ」がある。見栄っ張りだから事務所では明るく笑っちゃうし仕事は好きだしやりがいも感じているらしい、仕事してる方が自己肯定感の助けになるらしい。ただし適量に限る。業務量が許容範囲を超えたらミスを連発するし、そうなると自分の至らないところに正面からぶん殴られないといけない。社会人と呼ばれる人たちはこれを日々やっているわけなのだけど、私は30代半ばにしてやっとフルタイムで扶養を脱して働き始めた、新人(37)なのですよね。20代前半にこの仕打ちを受けるのと、アラフォーで生まれて初めてこの仕打ちを受けるのは、全然違うと思うの。今まで無視してこられたことに向き合う、自分の情けなさや弱さ、ずるさ、汚さ、たくさん。そんなに立派な人間だとは思ってなかったけど、37年も生きてきてまだこんな情けないのか、とか、いくら精神疾患あってスタートが遅れたからといっても、同じように他の人たちも乗り越えてるんだから私だけ弱音を吐いていられない、とか、もし新卒でこの経験をしていたら今頃私は、って考えがエンドレス。ただでさえ後ろ向きな私が後悔する背中をぶん殴ってくる。
自分のダメなところを自分で責めてとても悲しい気持ちになっている、、というのは滑稽でもあるけど、日々、内なるダメ出しによるダメージが蓄積して希死念慮になるのにそう時間はかからなかったから、侮れない攻撃なのだと思う。
そしてそんなのが染み付いた思考が、「なんか虚しい日々」も作り出すのだろう。だって自分に価値を感じられていないし否定すらしているんだから。つまんない人間である私が何かしたところで、つまんないでしょ、って冷めた目で見ちゃうよね。
このnoteには過去にはもっとたくさん記事が投稿されていて、小説や詩もあって。つれづれ杏子だけ今も続いている。思考がほぼいつも頭の中を巡っている人間なので吐露したいのです。noteに書いていないときには、充分に吐露ができていた。人間相手に。今は話し相手もいないので、パンクして涙になって出てくるし、それでも飽き足らずにここに放流している。
小説が書けた時期は躁エネルギーの後押しもあったけれど、当時の情熱はどこへ行ってしまったんだろう。まぁ当時は時間もたくさんあったのか。
とりとめのない話を、聞いてよ。