海風

9月21日は父の眠る納骨堂でお参りをした後、母と妹と3人で江ノ電に乗って長谷寺へ向かった。お昼過ぎに叔母と合流して、長谷の古民家カフェで食事をする約束をしていた。
その前に、母と妹と3人で長谷寺に寄った。

 沢山のロウソクの灯火が揺れている。水子供養のお地蔵さんはおだやかに佇んで、沢山の人が代わる代わる水をかけていた。観音様は暗がりの中で圧倒されるほどの存在感と輝きを放っていた。
 

今年の夏の晩、テレビをたまたまつけたとき、夏の怖いホラー番組がやっていた。そして、それはとても切ないお話だった。お寺の和尚さんのお話で、この世に生まれて来れなった命のお話だった。その命が、生まれてきた実の姉にのりうつり、一番伝えたかったことを口にした。
「わたしに名前をください」と、その命は訴えていた。
この番組を見て、すぐに母親に連絡した。ただのバラエティーと受け取る人もいるかもしれないが、わたしはこのお話でハッと気づかされたのだ。

母はわたしを産む前と妹を産む前に2回流産をした経験があった。「あなたには本当は、お姉さんになるはずだった人がいるの。」と幼い頃に聞かされた言葉。そして、妹が産まれる前、母は二度目の流産をした。幼い頃のわたしは生まれて初めてその時母の涙を見た。
「名前をつけてあげたい」というわたしの提案に、母の「ありがとう」という言葉が胸に響く。
母親は口に出さずとも、影できっとこの子達を想い出していただろうと、その時になって思った。

それから秋になり、命の名前を母と妹、私で決めて長谷寺を訪れた。母は供養してから20数年ぶりに長谷寺を訪れたと話していた。

名前のない命に、名前がつくということ。

その尊さを感じた。

画像1

わたしはこれからもこの名前を、手を合わせてはまた思い出すことだろう。

画像2

そのあと叔母と待ち合わせをしている古民家カフェまで。家具やお庭も雰囲気のあるとっても素敵なカフェだった。前菜から最後のデザートまでとても美味しく頂いた。

そのあと、また江ノ電に乗って叔母と叔父の暮らす七里ガ浜のおうちまで。

画像3

家の窓から見える江ノ島。遠くで光に照らされている。

波の音がとても心地よかった。叔母が毎回手作りしてるというアイスティーを飲みながら、のんびりとみんなで語らう時間。

日の入り時刻前に、居眠りしていた妹がアラームで目覚めた。浜辺まで2人で歩いて行こうと約束していたのだ。叔母のビーサンを借りて、線路わきを歩いていく。

この日は海が大荒れで、まさかと思ったが妹とワイワイしていたら気が抜けて、2人とも波に浸かり、スカートが海水まみれになった。

叔母の家に戻ると、水浸しの妹が「おーい」と外から呼んだ。わたしもスカートの水をしぼりながら「おーい」と呼んだ。

空いたままの二階の窓から叔母がひょっこり顔を出した。「あんたたち、濡れるなって言ったのに!もう、いい歳してあんたの娘たちは小学生か!」と叔母がゲラゲラ笑っていた。続いて母がひょっこり顔を出し、「なにやってんの。もー!家に入れないよ!」と呆れた顔をする。わたしたちはとりあえず、ビーサンの砂を洗い流し、家に入れてもらった。叔母の洋服を借りてすぐに2人分のスカートは洗濯機と乾燥機にかけてもらった。

その間、母も叔母もおっさんズラブをみたことがないというので、4人で一話から見返すことに。2人ともドハマりしてしまい、ゲラゲラ笑って止まらなくなってしまったので、気づくと夜の10時をまわっていた。

叔父はその日ずっと別の部屋でラグビーの試合に釘付けだった。

帰りはまた江ノ電に揺られながら戻った。

真っ暗な海はもう何も見えなかった。

画像4

妹と浜辺を歩きながら。

妹の背丈はいつのまにか姉の私と並んだ。黒のワンピースにスカーフをつけて少しすました妹と並んで歩いた。

海風がそっと足跡と一緒に寄り添ってついてきた。






☆*KOKAGEの拙い文章にサポートしてくださる方へ*☆ いつもありがとうございます* 文章はまだまだですが、日々の日記が少しでも何かのあなたの発見につながれば幸いです。文章であなたに出会えたことに感謝いたします。