きみに会いたい

ずっとタイトルを忘れてしまっていた本。

わたしにはこれまで探し求めていた一冊の本があります。

タイトルやストーリーを忘れてしまっても、大人になってもいつまでも頭と心の片隅にあって、またいつか出会えるだろうか‥そんなことをずっと思っていたんです。

名前を知らない人に片想いしたように、当てもなく、なんとなく、本のお話の中をぼんやりと覚えているだけ。

小学生の頃、学校の図書室で借りたその本を手にした感触は覚えています。なんとなく暗い雰囲気の背表紙に惹かれて本と本の間から一冊だけ抜き取り手に取ると、上級生にたくさん読まれただろう、その表紙はくたびれきっていました。

覚えているのは最初のページを開いて少し読み始め、わくわく、ドキドキとしたこと。

大人になってから、読書量もだいぶ減ってしまいましたが、小学生の頃のわたしは背伸びしてなんとかみんなより長編の本を読むんだ!と生意気に意気込んで、気になる長編小説や少し自分には内容が難しいと感じる本をわざわざ選んでみたい年頃でした。

そんな時に出会った本。

本に没頭する時間は周りの音が完全に無音になり、その本の世界に誘われます。

車や乗り物の中で何時間も揺られながら乗り物酔いせずに、暗い車内でも文字を追えるようになったことが、その時から身についたわたしの特技かもしれません。

暗いトンネルに差し掛かかると同時に、文字に落ちた影と、差し込むテールランプ。

その物語の中の主人公たちのやりとり、終盤に差しかかるにつれ、緊張感あふれる衝撃のラストシーンがリンクして、「暗い内容だけれど、どこかほんわりと灯台のような希望もあるお話」とイメージして記憶していました。

子どもの頃の本なので、これまで古本屋さんで何度か探してみたりもしました。でもタイトルも内容も忘れてしまった本はなかなか見つかりません。

それなのに、わたしの中ではいつでも(大人になっても)心の奥にその本が存在していて、ずっと忘れられないことが不思議でした。

ちょうど少し前の2020年12月25日クリスマスの日に、なんだか思い立って久しぶりに地元の図書館へ行こうとなり、なんとなく懐かしい児童書コーナーをのぞいてみることに。

あぁ、この本読んだなぁーかいけつゾロリ懐かしいな。とか‥、こんな絵本や図鑑おもしろそう、子供時代に出会ってみたかったなぁ、なんて思っているうちに、もしやとその本のことを思い出し始めました。

そのうち真剣にわたしが一冊一冊、目と指で追いながら背表紙をたどって探し始め、近くの子どもたちも少しもの珍しそうにわたしの様子を近くで見ていたのですが、まぁ、児童書を読むこんな大人もいるんだろうなぁくらいに、一緒に隣で本を探していました。

なんとなく、「今日は見つかる」ような気がして、しばらく様々な本のタイトルを辿りながら、10分ほど探していると、パッと「きみに会いたい」という本のタイトルが目に飛び込んできました。

探すことに夢中になり、膝をついて、あ!この本だ!と、思わずはやる気持ちを抑えて本を手に取りました。

あの頃手にした本と違い、だいぶ綺麗な状態で丁寧に読まれてきたことがじんわりと本から伝わり、なんだかとても嬉しくなりました。

ページをめくると、かつて見た挿絵が目に飛び込んできて‥、じんわりと少女時代のわくわくして読んだ気持ちが思い起こされました。

暮らしている地域が今は違うので、新しく図書カードを作り直してもらい、その本を一冊だけ借りて、大事にカバンに仕舞い持ち帰り、その日の夜からさっそく読み始めることに。

なんで、わたしはこの本にずっと出会いたかったんだろう‥??

不思議な感覚でした。

本の中の少年のつぶやきは、

(金色の夕暮れ‥‥‥涙が出そうになるのはどうして‥‥‥ひとりぼっちだ‥‥‥だれもわかってくれない‥‥‥だれも考えてなんかくれない‥‥‥)

とありました。

主人公の幸恵(ゆきえ)は、聞きたくないのに、人の心の中の声が聞こえてしまう女の子。

ふだんは特別な力を隠してひっそりと生きている幸恵はある日、孤独な少年の呟きを心で聞き、思わず立ち止まる。

その日から毎晩、「おやすみなさい」とだけ少年に心の中でささやく幸恵だけれど、少年は幸恵に何度もテレパシーで呼びかけ、同じ力を持つ幸恵に会いたがるようになる。

幸恵は、少年が恐ろしくなり、ある日心の交信を断つことを決める。

その頃、連日ニュースでは東京に1番近い夏川原発の異常事態が相継ぎ放送されるようになる。

どうやらその原発の異常事態には少年が関与しているということを幸恵は知り、ついに少年と会う決心をするー。

この本は思春期の少年少女の孤独な心の葛藤を描くだけでなく、「原子力発電所」が裏のテーマとなっています。

UFOが登場したり、一見SFのようにも、2人のラブストーリーのようにも思えて、原子力発電所や原発をめぐる人間の問題も描かれている内容なので、児童向けというよりむしろ大人が楽しめる本です。

なので、後から検索すると本が置かれているコーナーが児童書コーナーだったり、一般書籍のコーナーだったりするようでした。

当時、小学生だったわたしは、この本を読み進めていくうちに、ただただ衝撃を受けました。

それまでいろんな物語に出会ったけれど、こどもをこども扱いじゃなく、ひとりの人として大人扱いしてくれるように感じたのです。

本の中に登場する先生が、ものすごいこどもの理解者でもあるのです。

そして、何より当時、主人公の幸恵と重なるように自分の気持ちを受け止めてもらえたような気がしました。

友達はいても、きっと口に出さずとも孤独な思いやさみしさは誰もが抱えるもので、当時のわたしには、幸恵の言葉がすっと心に馴染んだのです。

本の著者は、『ふるさとは、夏』や『夜の子どもたち』、『ドーム郡ものがたり』の芝田勝茂さん。(今後、必ず読んでみようと思います!)

挿絵はわたしの大好きな宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』など、『画本・宮沢賢治』のイラストを描き続ける小林敏也さんでした。

この本が発刊された1995年から数年後の夏、図書室で出会ったこの本は、いつまでも忘れられない、わたしのバイブルのような本だと思います。

一生に出会う、本との出会いは特別です。

本との出会いは、ベストなタイミングが人それぞれあると思うから。

大人になってまたこの本に出会えたことも、わたしにとってはかけがえのない出会いでした。

この出会いに喜びと感謝を込めて、いつかわたしも自分らしい物語が描けたらいいなぁと思います。


☆*KOKAGEの拙い文章にサポートしてくださる方へ*☆ いつもありがとうございます* 文章はまだまだですが、日々の日記が少しでも何かのあなたの発見につながれば幸いです。文章であなたに出会えたことに感謝いたします。