秋と父

秋はお別れの季節

父の4回目の命日だ。

ドラマの半沢直樹が好きなんですが、(池井戸潤さんの小説に出てくる人が、人間味溢れててお気に入り)、半沢直樹を観てると、どうしても父を思い出してしまうんです。

銀行員でもないし、あんな風に「倍返し!」とは言わなかったけれど、誰よりも負けず嫌いで、仕事を良くして、正義感が人一倍強く、お葬式には会場に入り切れないほどのお仕事関係の人が参列してくれて、残されたわたしたち家族に代わる代わる涙を流しながら、仕事をする父のことを褒めてくれていました。

だけど、家庭では一切仕事の話をしなかったし、仕事も持ち込まなかったので、わたしは父が亡くなって初めてどんなふうに仕事をしていたか、詳しくお葬式で会社の人に聞かされ、母もそれは同じだったようで、その時に父の凄さを改めて思い知らされました。

家庭での父の立ち回り方が半端じゃなかったので、それでわたしにとって充分な父親と思わされていたから、仕事で評価してもらえてることは聞いていたけど、こんなに大勢の人に慕われてるとはまさか思ってもみなかったのです。

家では父が愚痴ってるところを一度も聞いたことがありませんでした。大袈裟かと思いますが、思い返しても本当にないのです。

祖母はとてもわがままで自由人で(母の母)、よくPCとかカメラとか機械でわからないことや、車椅子での車の移動とか、父に頼って甘えては、父に会うといつもニコニコとしていました。

休日はいつも祖母のためにも動いてくれたり、母や娘たちを連れて家族旅行にでかけるような父でした。

完璧主義と言ってもいいくらい、父は家で父をこなしていたんだと思います。それが、父にとっての理想の父親像だったのか、それとも素の父だったのか、未だにわたしはわかりません。

父にはちょっとでも愚痴れたり、ホッとできる場所ってどこかにあったんだろうか。そもそも愚痴なんて誰かに話してることも想像ができないんです。

わたしの前ではいつも、からかうように、少年のように母の前で張り合ってきたり、笑っていました。

だけど、わたしがやりたいことをいつも、『まずはやってみるか?』と真っ先にやらせてくれるのも父でした。

星新一が好きだという父は、毎晩幼いわたしに、絵本ではなく星新一の本の読み聞かせをしてくれました。

同じ学年の子より、さっさと文字を覚えられたのは、長編の本に一つ一つルビをふってくれた、父のおかげだと思います。

PCで絵の書き方を教えてくれたり、それを印刷して絵本にしてくれました。

わたしがパラパラ漫画を描きたいと言うと、粘土やマッチ棒で一緒に作品を作り、少しずつ動かしながら撮影して、音楽と合わせクレイアニメの動画を一緒に作ってくれました。

団地のフリーマーケットで作品を売ったりもしました。

カラオケへ行くと、大好きなサザンの桑田さんの物真似を沢山してくれました。

書道の宿題が出ると、張り切ってお手本を書いてくれて、父のスパルタでわたしは泣く泣く教え込まれ、練習を重ね賞を取ってしまったり。

自由研究など、研究することになると誰より(宿題を出された本人より)張り切っては、調べ物をして、朝らから晩まで何日も自由研究に励み、答えは教えてくれず、「まずは自分で調べたり、考えてご覧」と、かならず試すようにしてきました。

飼っているハムスターの餌になる花を摘みに、土手を一緒によく自転車で走りました。

わたしたち家族のために一軒家を買い、ローンの為に一生懸命働いてくれました。

そんな父はある日、脳梗塞で倒れてしまった。わたしが中学生の時でした。

お医者さんによるともともと、人よりも血管が一本少なく、細く、血管が詰まってしまったとのことでした。

病気をしてからの父が家に戻ると、何か以前と人が変わったように見えました。父は父なのですが、性格が別人になってしまったようでした。

わたしはそんな父となかなかソリが合わず、それから衝突することも増えました。細かいことに以前よりさらに敏感になり、それまでおおらかだった父は、わたしの揚げ足をとったり、どこか冷ややかに、嘲笑することもたまにありました。

わたしはその変化を見逃さなかったけれど、母は幼い妹を育てることに夢中で全然父の変化に気づいていないように思いました。中・高のわたしが反抗期の時期だから、わたしが悪いと言いました。

後になって、父の病気の様子が顕著になるにつれ、母は父の異変を察知し始めました。

誰にも気づかれないところで、きっと長い年月をかけてゆっくりと病気は進行していたんだと思います。でも父は、誰にも気づかれないように全てを隠して、仕事や家庭の事を相変わらず一生懸命両立していました。

最後にはお医者さんがレントゲンを見て驚いていました。普通の人は寝たきりになってしまうくらいなのに、立って歩いて、会話をしている。そのことが信じられない、と話していました。

よく家族に美味しい料理を振る舞ってくれた父ですが、わたしの料理をおいしいと褒めてくれていました。わたしはそれが嬉しくて、休みの日はよく家族に料理を作ってあげたりしました。

ある日、父に「何を食べたい?」と聞くと、

テーブルについた父が「ミートスパが食べたい」と言いました。

そのあとこう言いました。

「きっちり15分以内に作って。」

少し異様な雰囲気で、こんなことを今まで言われたことがなかったので、驚いたと同時に、きっと病気のせいかも‥とも思いました。

でも、これがわたしへ向けた最後のお題と、父のお願いでした。わたしは15分以内になんとかパスタを作ると、「美味しい美味しい」とニコニコしながら完食して、ふらっと席を立ち、その場から居なくなってしまいました。

父が亡くなる直前、家族に何を伝えたいか妹が聞くと、真っ先にわたしの名前を出して、「ごめんね」と言いました。わたしは、父の最後の一言がどうしても、今も引っかかっています。なんでごめんね‥だったの?と。

わたしは、父がわたしの父になってくれたこと本当に嬉しかった。母と幼いわたしを連れて、若い父ははじめての結婚なのに、父親になる決意をしてくれた。本当に家族を守ってくれた。

この先の人生、教えてほしいことはまだまだ沢山あったけれど。愚痴をきいてあげたり、仕事が落ち着いたら一緒にお酒を飲んだりしてみたかった。

それでも父は、どこか遠くの風にのって、今もそっとこっちだよと、何かを教えてくれてる気もします。


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