不登校児を学校に行けるような子供にするため、母がしたこと

まず、熱が出たり、

学校にいくよう、無理に玄関に鍵をかけ、

家から追い出したり祖母がしていたので、

私は時折、嘔吐したこともあった。

まず考えられるのは身体の「病気」だ。

あちこちのちょっと大きな内科へ、

母の仕事の休日には連れて行かれた。

小学校〜高校の間、検査入院と称した小児科への入院もしたことがあるが、

当然、特に大きな問題は見つからない。

「精神科へ」ということを途中、何回か母はすすめてきたが、

当時は不登校児はめずらしい時代。

なによりも、私自身はおかしくない、という認識であったため、

それは拒み続けた。

次にどこから聴いてきたのか、

母が私をその場所に着くまで教えてくれなくて、

ただ、「いいから行くの!」と手を引っ張って連れてきたのは、

民間療法の治療院だった。

そこでは、白砂糖がだめ、黒砂糖でもだめなくらいの体質、と言われたのをぼんやり覚えている。

その後、帰るときに渡されたのは、

明日から家で使うおしっこを入れるコップだった。

先生の説明では、朝一番の尿がいちばん身体にいい、と言うこと。

飲尿療法ってやつだ。

「飲みづらかったら水で少し薄めたり、

氷を入れてもいいですよ。」なんて、

助手の若いお姉さんが、にっこり笑って教えてくれたけれど、

正気なのかと、子供心にも思った。

でも、母は大真面目に、

翌朝、私よりも先にその療法をやってみせた。

嫌がりながらも逆らえない私も、

母に続き、息を止めて飲み干した。

二人の意見は目を見て揃った。これはもうできないと。

 祖母との暮らしをやめようと、実家を出ていける方法の一つ、

母と一緒に母子寮というものを見に行ったこともあったが、

母は社交的ではなかったので、

その道も絶たれた。

母の少ないパートの給料と遺族年金で、

アパートを借りるには、勇気がなかったようだ。

 私が高校生の時には、母の仕事上の悩みも深くなっていたためか、

突然、分厚い教典を何冊も買い込み、

家に不思議なお札を貼りつけて、

宗教に入ったこともあった。(結果あっさりやめたが)

 子供が学校に行けないのなら、

私と向き合うべきなのに、

母は私とそれが出来なかった。

学校に行けない間中、

母が壊れたラジオのように言い続けた言葉は、

「なんで学校に行かないの?」だけだった。

私が欲しいのは、

「学校に行かなくてもいいよ」その一言で良かったのに。





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