【聞こえない移民の叫び】台湾移民の現状
こんにちは!
台湾で applemint という会社の代表を務める佐藤です。
以前台湾で NHK スペシャルの 『夢をつかみにきたけれど ルポ・外国人労働者150万人時代』を見て、日本にいる一部のベトナム人労働者の労働環境に愕然としました。
技能実習生は転職ができないこと、120時間に及ぶ残業に対して賃金が支払われていないこと、ビザを発行するためだけに機能しているような日本語学校が多数あることなど、僕にとって何もかも初めてのことでした。
この時僕は改めて、自分の置かれている立場に感謝すると同時に、そういえば台湾の移民の実態はどうなんだろうと思いました。
そこで今回は台湾における移民の現状について話したいと思います。
台湾にはどんな国の人が移民しているのか?
台湾にいる移民の人々はどういう仕事に従事しているのか?
台湾にはどんな移民制度があるのか?
このブログではこのような疑問にお答えしようと思います。
最後に、僕が9年前初めて台湾に来た時に農場で出会った、インドネシア人の移民の話をして終わりたいと思います。
台湾の移民統計
まず、台湾にいる移民を国別にグラフにするとこんな感じです。
中国と香港からの移民が非常に多く、続いてベトナム、インドネシアと続きます。
台湾にはベトナム人の移民が多く、割と本格的なベトナム料理店がたくさんあります。
中でも台北のMRT南京三民駅近くにある『河内河粉』というお店のフォーはマジでお勧めです。
『その他』の中には、日本や欧米など色々な国の人が含まれ、最後にフィリピンとタイからの移民がそれぞれ全体の2%を占めています。
ここで一つ『移民』について定義します。
台湾には主に二種類の移民が存在します。
1. ホワイトカラーの仕事に従事する居留証を持つもの
2. ブルーカラーの仕事に従事する居留証を持つもの
後ほど詳しく説明します。
参考:從數據中看在台新移民(数字から見る台湾の移民)(中国語)
余談 (台北のインドネシア人街)
少し余談ですが、上のグラフが示すように台湾には結構な数のインドネシア人もいます。
そして台北には、台北駅の近くにインドネシア人街があります。
『台北インドネシア人街』とでもGoogle で検索すれば色々な情報が出てくると思います。
興味のある方のために去年 (2019年7/13) にインドネシア人街に行ってきたの様子をご紹介したいと思います。
台湾の移民の就職先
次に移民の就職先についてお話をします。
台湾移民のマジョリティは中国・マカオ・香港の人たちですが、この人たちは基本的にホワイトカラーの職についています。
今回お話をしたいのは中国と香港、マカオの移民を除いた移民の人達がどんなお仕事に従事しているかです。
以下のグラフがこれらの人々の就業先です。
僕は9年前に台湾の農場で住み込みをしていて、その時にインドネシアの子に会った訳ですが、職業別で見ると農業従事者はマイノリティーのグループにいました。
移民の人が従事している一番多い仕事は製造業で、次に多いのは介護の現場やヘルパーさんです。
たまに友人の家に行くと、友人のおばあちゃんの介護を東南アジア系の方が務めている現場をよく見ます。
投資やホワイトカラーの職は0.04% とかなり少数です。
この辺日本の状況とあまり変わらない気がしてきました。
これはちょっと技能実習制度のような嫌な予感がしてきたので、次に台湾の移民の制度について調べてみました。
台湾の割と差別的な就業に関する法律
台湾には『就業服務法』という労働に関する法律があります。
基本的に、台湾に住む人は台湾人であろうと外国人であろうと、この法律に法って仕事をすることになります。
今回はこの中でいくつか気になった点を紹介したいと思います。
この中では職業が10種類に分類されています。第1-7種は (1)専門性ある職、(2)華僑や外国人マネージャー (3)教師 (4)塾とかの講師 (5)スポーツ選手 (6)宣教師 /宗教関連/芸術系の仕事 (7)商船 です。
次に第8-10種が (8)海洋業 (9)家庭ヘルパー (10) 土木 です。
この#8-10の職業が台湾で差別的に扱われています。
これらの仕事に従事するような人たちを『マリア』と呼び、台湾ではこれらの仕事を『東南アジア系』の仕事とか表現します。
なぜマリアと呼ばれるかというと介護やヘルパー職に従事する移民の多くはフィリピン出身で『マリア』という名字の人が多かったためです。
従って台湾では「マリア」という言葉は少し差別のニュアンスがあるためご注意ください。
次に《就業服務法》内の第53条によると、第46条で定義された#8-10の仕事に従事する人々は、自由に雇用主を変えられないと明記されています。
つまり #8-#10 の仕事に従事する移民は、自由に転職ができないのです。
例えどんなに劣悪な労働環境であっても、自分の意思でその仕事場を離れて転職するということを決められないのです。
ただしこれには例外があります。
第59条によると以下の条件下であれば、仕事をやめることが可能なようです。
1. 雇用主が亡くなる或いは別の国へ移民した場合
2. 技術面で仕事が続けられなくなった場合
3. 工場が閉鎖されて給与を支払えなくなった場合
見てお分かりかと思いますが、結局いずれも従業員の意思が尊重されるようなものではないです。
日本人のみなさんが台湾に来て就業する場合はいわゆる#1-7 の職業で仕事をすることになると思います。
これらの職業はホワイトカラーとして分類されています。
一方#8-10 はブルカラーと分類されています。
そしてブルカラーの移民は転職の自由がないのが台湾の移民の現状です。
台湾の人にとって移民って何?
冒頭で移民には2種類存在することをお話しました。
1つはホワイトカラーに従事するような移民です。
もう一つはブルーカラーの仕事に従事する移民です。
同じ移民なのですが法律の適用範囲や待遇が全然違います。
ちょっと法律を見ていきましょう。
この23条では外国人が『外僑居留証』(居留証) を欲しい場合の、6つの条件が明記されています。
その内の一つに、結婚相手(入籍した相手)が台湾人や、台湾の居留証を持っている人であれば、『外僑居留証』を申請できると規定されています。
つまり駐在員が台湾に来て、居留証を取得すれば、その彼/彼女の配偶者を台湾によんで一緒に暮らせるという法律です。
これはよく見ます。
※残念ながら台湾では配偶者のビザでは働くことはできません。配偶者として台湾に行く場合は専業主婦/専業主夫になることになります。
しかしながら《就業服務法》第46條には先ほど10種類の職業の中で#8-10 の所謂ブルカラーの職業に従事する者は、『外僑居留証』を申請できないと規定されています。
#8-10 の職業に従事する者は『外籍勞工居留證』という居留証を取得するのですが、これは『外僑居留証』ではありません。
この『外籍勞工居留證』の居留証ではパートナーを台湾に呼び寄せることは出来ません。
なんだか意味のわからない制度ですが、要するに東南アジアや他の発展途上国から来たブルーカラーの仕事に従事する移民は家族を呼べないということです。
恐らく東南アジアからの移民の過度な流入を抑えたいのでしょう。
これが台湾の移民の現状です。
どうですか?
この話を台湾の人にしたら台湾の人も知らないぐらいでした。
結局日本も台湾も所謂ブルーカラーと言われる、移民に対する法律はあんまり大差がないということです。
参考:【投書】連法律都歧視藍領工作者?外籍勞工的悲歌(中国語)
僕が農家で出会ったインドネシア人の子
最後に僕が約9年前に農家で出会った、インドネシア人の移民の話を紹介します。
長文になるので、ここまで読んでお腹いっぱいという方はここでストップしてください。
2010年、僕は初めて台湾に来ました。
語学学校に行くお金なんてなかったので、 WWOOF という団体を通じて農家に住み込みで農作業をしていました。
色々な農家で仕事をしたのですが、特に長くいたのは花蓮の農家でした。
朝は6時起きの7時出発、仕事は夕方6時までというタフな環境でしたが、居心地がよかったので長くいました。
そんな花蓮の農家の住み込み先にはインドネシア人の子が1人いました。
名前は残念ながら忘れましたが、彼女は僕なんかよりも朝早く出発して、太陽が上るちょっと前から農場で農作業をしていたのを記憶しています。
彼女は主に農場に出て種を植えたり収穫をしたりして、僕は梱包や包装作業をしていたため、作業場が違って現場で話す機会はほとんどありませんでした。
彼女と話をしたのは、住み込み先の宿で一緒になった時でした。
WWOOF に加盟している有機農家では住み込みをすると基本的に1日6時間労働で、給与は出ないものの朝昼晩の3食がつくという規定になっています。
そのため僕は農作業が終わると、夕ご飯をホストファミリーと一緒に食べていました。
しかしホストファミリーとの食卓の場に同じ住み込み先のインドネシア人の子はいません。
彼女は仕事が終わって住み込み先の家に戻ると、僕らとは食事を共にせず自分で料理をし、自分で食べていました。
また、彼女は家に戻ると、ホストファミリーの家事やたまに隣の家にいる高齢の親族の介護をしていました。
仕事が終わってからも仕事があるようなもんです。
僕はそんな彼女が心配になったので、積極的にコミュニケーションを取ろうとしましたが彼女は少し遠慮しているようでした。
恐らく僕に不満の一つでも言えばたちまち暴露されると思ったのでしょう。
家には wifi が通っていたのですが、どうやら彼女は使えなかったみたいです。
10年前はそもそもまだスマホがあんまり普及していませんでした。
ある日、僕は彼女に故郷の友人や家族に会えなくて寂しいか聞きました。
そしたら寂しそうな顔をしたので、僕はその当時持っていたラップトップを一瞬貸して家の wifi をこっそり使わせてあげました。
その後彼女の方をちらっと覗くと嬉しそうに、 Facebook で友人とチャットしていたのを覚えています。
その後違う農家でお手伝いをするため、僕は一度花蓮の農家を離れ他へ行きました。
次に花蓮に戻って来たのは 4ヶ月後なのですが農場に戻るとそこには彼女の姿はなく、代わりに他の移民の人がいました。
僕は彼女に労働環境について聞くことはできませんでした。
聞かなくてもどうせいい労働環境でなかったことは察しがつきます。
その当時の台湾の賃金はアルバイトが115元だったので、これが彼女の給与と仮定すると残業に関わらず毎日8時間 x 月25日の給与をもらった場合得られる対価は月 23,000元ほどです。
居住費はかかりませんがその分家に戻ったら今度は家事のお手伝いです。
農作業で使う衣類は汗びっしょりなので洗濯機なんてほぼ毎日ぐらいかけてた気がします。
でも僕が思うにこの花蓮の農場の労働環境は多分まだマシな方です。
僕が桃園で農作業をしていた所は、住居がゴキブリとネズミが共存するトレーラーハウスのような場所で、ガスが壊れてお湯さえ出ない環境でした。
今なら絶対に同じことはしたくないですが、当時は金がないしこれぐらいしょうがないと思っていました。
ガスが壊れてお湯が出なかったので、シャワーを浴びる前に腕立てを200-300回して体を温めてからシャワーを浴びていました。
しかし他のスタッフは耐えられなかったみたいで、ある日ボスと仲の良かった僕にガスの修理をボスに依頼するようお願いをしてきました(笑)
僕がボスにガスが故障していることを告げると、ボスはあっさり修理をしてくれました。
もし他の従業員がボスに同じことを言ったら無視されていたのでしょう。
ガスが直った時は皆本当に嬉しそうでした。
これは台湾のほんの一部の労働現場の話です。
しかも9年前なので今ならもう少し改善されているかもしれませんが僕はそう思いません。
なぜか?農場の収入が9年前と比べて多分上がっていないからです。花蓮の有機農家は収入の7-8割が小売店で残りは土日の市場とかです。
彼らは他に誰にどうやって売っていいかわからないのです。
そしてこの現状は今も変わらないでしょう。
僕は将来的にこんな状況に少しでも風穴を開けたいなって思っています。
以上、恐らく多くの人が知らない台湾の少しダークな移民の話でした!
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