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生命力

 「本当の旅の発見は、新しい風景をみることではなく、新しい眼を持つことである。」—フランスの作家のマルセル・プルーストの言葉だ。

特別な新しい場所でなくても、普段何気なく歩いている道や場所を注意深く見てみると、思いがけない新たな発見がある。

昨秋のことである。気分転換に大学内をふらふら歩いてみると、キャンパスの中にも、力強く「生命力」を発揮しているものがあった。

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 人科棟から北に向かって歩くと、サイバーメディアセンターの近くに道路標識が立っている。何の欠点もなく完璧に見えるサイバーメディアセンターの建物のすぐ近くに、折り曲がった、傷だらけの道路標識が正々堂々と立ち続けている。私は、この姿の勇ましさに目を奪われた。サイバーメディアセンターの建物は、まるで何からも傷つけられるおそれがなく、たとえ傷つけられたとしても新たなもので直してもらえる、という受動的な姿勢を固持しているようである。それに対して、この折り曲がった道路標識は、傷や折り曲がった部分を修復されることがなくても、まったく完璧でなくても、「そこに在る」ことや、自己にとことんまで正直であることを価値とし、毅然とした態度を保っているようである。私は、その姿を賞賛したい気持ちと、少しの羨望の気持ちを抱いた。決して「ありのままであること」が常に正しいとは思わない。「繕うこと」や「演じること」が、「他者」への思いやりになることも多々ある。しかし、何も考えずに周囲の流行に合わせたり、新たなもので自分を飾ったりすることで自らの価値を見出そうとすることは、簡単で一時的な安心感を与えてくれはするが、ふと我に返るとその行為に懐疑心を抱くこともある。その中で、真っ直ぐと「そこに在り」続けられる人に対して、私は得てして「生きている人だ」という印象を持ち、感銘を受ける。そういう人の姿が重なり、この道路標識に惹きつけられた。

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工学部側に進んでいくと、斜面に太い切り株が残されていた。その切り株の背後には、大きな木が2本、そびえ立っていた。その大きな2本の木は、幸いにも人間に伐木されなくても済む位置に存在しており、その上、難なく綺麗な紅葉を持つことができている。それに対し、人間に伐木されてしまった切り株は、美しい秋に、紅葉どころか、木の幹さえ持つことができないでいる。しかしながら、この切り株も、先述の道路標識と同様に、自らの存在を恥じ入ることなく、堂々と「そこに在り」続けている。まったくへこたれておらず、安定的に構えている。このような姿でいられるのは、伐木される自らの運命、そしてそのままで在り続けることを受け入れているからなのではないか、と思う。木は、他の木と比較することなく、また他の木の視線を気にすることもなく、そのままで在り続けている。どこまでも正直で居続けることの難しさを、完全にクリアしているのだ。季節の流れや人間からの期待等に焦りを感じることもなく、「またこれから伸びていけば良い」というような、マイペースな生き方をしているようにも思える。また、少し後ろに下がって大きな図で見ると、木は、地面や地下に根を伸ばすことで這いつくばっており、「何としてでもそこに在り続けてやる」という、頑迷とも捉えられるような、強気な姿勢を持っているようにも見える。「そこまで粘るか」という気もするが、その粘り強さこそが、木の持つ魅力である。自分のペースで進めながらも、決して屈しないという木の在り方からも、私は凄まじい生命力を感じた。

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そんな木も、決して個々で生きているわけではない。木々が生い茂る風景の中で、1本だけ、幹が折れてしまっているものがあった。しかし、その木は、完全には倒れていなかった。面白いことに、他の木々が、その木を支えていたのだ。どんなに自力で立とうとしても、折れてしまうこともある。ひとりでは乗り越えられない状況でこそ、「他者」の存在、そしてその支えが必要となる。これらの木々の様相は、まさに人間の関わり合いと同じものを示しているように見える。根を張って、自分の足で強く立つための努力も必要だが、必要な時にはきちんと周りを頼ることができることこそが、本当の「強み」であり、「生きる力」なのではないか。それは人間だけでなく、きっと木々も、他のどの生き物も同じなのだ。

こんなにも身近な存在からでも、生きるものの「生命力」を感じ取ることができるということを、私たちは年を重ねるごとに「当たり前」のものとして見逃してしまい、いとも簡単に忘れてしまう。

そういったある種の瑞々しさは、ともすれば大人になって1番失うものなのかもしれない。

しかし、その力強さに対して、新鮮な眼で以て感動する気持ちを持てることが人間の長所である。日常のありふれた景色の中で、さまざまな発見をし、少しでも自分の心の琴線に触れるものがあれば、それをなおざりにせずに居たいものだ。

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