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背中にあるもの

最近個人的に、混迷期且つ繁忙期があった。目の前のことに忙殺されると、あああ、早く抜け出したい、他人の所為にしたい、なんて目の前のむむむってところに内心引っかかっちゃったり誰かの所為にすることで一時的に開放されたい気分になることもあり、そんな時こそ自分の中で最初に描いていたビジョンに立ち返る、ということがしばしばある。

なんでここまでこだわって、ビジョンに立ち返ってまた粘ろうとするんだろう、と考えた時に、

もちろん、問題意識とかは明確で、そこにモチベーションを持っているのは本当に事実なんだけども、

そこのモチベーションだけを過信してはならないことに気づいた。

私には、今いる組織の前に、興味分野を追いかけるために1つ離れた大好きなコミュニティがあった。

そのコミュニティは、1人1人が世界を社会を本気でよりよくしたいと思っていて、他人じゃなくて自分には何ができるのか分からなくても、それぞれもがいてもがいて、泥臭く思考したり議論したりできる仲間がいた。

なんだか青臭いけども、その青臭さを持ってロジカルに物事を構築していける、そのパワーがすごくすごく好きで、心強かった。

彼ら彼女らと過ごしているうちに、知らないうちに、私はたくさんの学びと勇気をもらっていたのだと気づいた。

離れることを決意した時、「お前ならやれる」という言葉をかけてもらったり、離れた後もたまに会ってお互いの進捗共有するだけで背中押してもらえたり背筋が伸びる気持ちになったり。

ビジョンのために泥臭く努力することを諦めない、認めてくれる環境があったこと。

間違いなく、今いるところよりは尖っているんだけども。それが自分にとって良い意味での厳しさであり、あたたかさだった。(今いるところの良さも語れと言われればめちゃ語ってしまうから、ここではあえてしない笑)

言葉って不思議なもんで、嘘やと思っても、多少過度な表現だとしても、本気で言ってくれるものからは、エネルギーをもらえる。

今の自分が在るのは、そのおかげだ。今もつながりを持って、他愛のない話も、真面目な話も、全部受け止め合う関係性が、私を支えてくれている。

忘れちゃいけないし、忙しくて周りがなかなか見えなくなりがちな今だからこそありがとうって伝えなきゃだ

そして私も負けないように、社会をよくしていこーっと

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