知らないものだらけ

 焦げ付きにくいフライパンセット。
 珪藻土バスマット。
 電動お魚釣りゲーム。
 何でもあるのに、欲しいものだけが見当たらない。



 衛生用品が足りなくなってきたので、買い出しに行くことになった。本来なら部下にやらせるような仕事だが、彼らは他の「部下にやらせるような仕事」に忙しく、仕方がなく手の空いた私が行くことになった。
 まぁ、定例業務は自動ツールにやらせるようにしてるからぶっちゃけ暇だしいいんだけどね。仕事増やされるから絶対上には報告しないけど。

 向かったのは最近出来たばかりのホームセンター。いつも電車を使って行っていた所よりも近く、品揃えも良い。しかも2割程度安いと評判だった。
 しかし、現実はそう甘くない。オープンしたてのそこは、まだ客の動線がまるで考えられていない上に、案内用のアクリルボードがまだ天井に付いていなかったのだ。
 電動お魚釣りゲームを見たのはこれでもう3回目。陳列の済んでいない商品の入った段ボールが大量に置いてあるせいで、店内は軽い迷路と化していた。

「「あ」」

 文具コーナーで偶々出会ったのは、この前一緒にビールの買い出しに行った男。「水森さん」と声をかけてくれたところまではいいが、そういえば私は彼の名前を知らないままだった。気まずさを隠すように軽く会釈をすると、彼は気を悪くした素振りもなく、右手を軽く胸のあたりにあてて続けた。

「……ああ、月城、悠って言います」
「……どうも」

 ばれてる。若干の後ろめたさを感じつつ、彼ーーハルカを凝視すると、英字の入った大きめのトレーナーの裾を恥ずかしそうに引っ張りながら、「友達が貸してくれてね」と聞いてもいないのに言い訳をした。
 彼は棚の下の方からコピー用紙を5束ほど引っ張り出し、花束を扱うように優しく左手に抱えた。

「よ、いしょ。水森さんも買い出し?」
「そう。衛生用品が見当たらなくて」
「ああ、包帯とかガーゼなら、向こうで見かけたよ」

 彼は抱えたコピー用紙を時々軽く持ち直しながら、記憶を頼りに案内をしてくれた。衛生用品のコーナーはここからそこそこ遠く、彼もかなり迷ったのではないだろうか……しかし大回りせずほぼ最短ルートで辿り着いたので、かなり記憶力は良いのだろうと思った。

「そんなにいっぱい使うの?紙」
「ああ、これ……楽譜のコピーに使うんだよ。みんな色々書き込みたいけど、原本を汚したくないから」
「ふうん、ハルカって楽隊なんだ」
「そうだよ。水森さんは、衛生兵だよね」
「そう」

 いまいち盛り上がらない会話を続けながら、必要なものをカゴへと投げこみ、レジへと向かう。会計の案内板だけはデカデカと設置してあったことが、何だか無性に苛立った。

「カゴ、持つよ」

 ハルカはこういう気遣いがとても自然な男だ。カゴが思ったよりも重かったらしく、「おとと」と一瞬バランスを崩していて、格好は付かなかったけれど。

「これ持って戻るの、大変だよね」
「ん?私タクシー使うけど」
「え」
「アプリで呼んでおいたから。会計終わったらナンバー862のタクシー探して」
「う、うん、分かった」

 領収書を貰うために会計を別々に済ます。店を出ると、彼は既に会計を済ませてキョロキョロとタクシーを探していた。彼は私に気付くと持っていたマイバッグを左手に持ち替え、とても自然に私のレジ袋を受け取った。

「えと……あ、あれかな」
「ん」

 見つけてもらったタクシーに向かって手を挙げる。彼は他人事のように、目の前にとまったタクシーをぼんやりと見つめていた。

「アンタも乗るでしょ」
「え……いいの?」
「ほら、早く」

 奥の席に乗り込み、隣のシートをポンポンと軽く叩くと、彼はレジ袋を真ん中にそうっと置いた後、遠慮がちに乗り込んだ。タクシーに乗り慣れていないのか、自動で閉まるドアに少し驚いた様子だった。

「ありがとうね、タクシー…」
「これでチャラで良い?」
「?」
「ほら、案内係と荷物係」
「ああ……あんなのいいのに」
「借り作るの嫌いなの」

 きょとんと瞬きをした後、彼は可笑しそうにくすくすと笑った。

「律儀なんだね」
「別に。行先一緒だし、ついででしょ。多分私の方が経費で使えるお金多いし」
「そっか」
「そう」

 会話はそこで途切れた。車内には沈黙が満ちている。窓の外を流れる景色は、いつもと違う場所だからだろうか、知らない店ばかりだった。

 地球儀専門店。
 ペンギンカフェ。
 珪藻土のバスマット。
 隣に座っている男の名前。

 今日はなんだか、学びの多い一日だ。

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