Cause lovin' you

1ヶ月に数回、物凄く喉の調子が良い時が無いだろうか。
例えるならその100倍くらい、もっとかな、その日はそのくらい、声が上手く出るような気がした。

「〜♪〜〜♪」

ハミングで喉の調子を整え、何を歌ってみようかと、頭の中で色々な曲をシュミレートする。覚えたてのJPOP、今度歌う合唱曲、流行りのバラード。
迷った末に私は、かなり古めのラブソングを口ずさんだ。私が産まれる前に大ヒットした曲。パパが車でよくかけてくれた、大好きな曲。いつもなら少し辛い高音も、今日はとても滑らかに出た。

外から帰ってきたパパは、見たこともないような怖い顔で、私の腕を強く掴んだ。怒っているという意味じゃなくて、笑っているような、辛そうな、ぐちゃぐちゃな顔。

「やめて、パパ……」

勇気を振り絞って声を出すも、掴む力は強くなるばかりだった。程なくして聞こえたカチャカチャというベルトを外す音が、割れるように頭に響いた。

それ以降は、もう殆ど記憶が無い。

覚えているのは、帰ってきたママの叫び声でそれが終わったこと。パパが泣きながら外に飛び出したこと。そしてもう、帰ってこなかったこと。

母親はそれ以来完全に心を病んでしまい、精神病棟へ送られた。私に残ったのは、政府からの雀の涙ほどの支援金と、1人には広すぎるワンルームだった。



ろくに外も出ずに引きこもっていた私がネットにハマるのは、時間の問題だった。
面白いスラング、個人サイト、匿名掲示板、色々なネットの文化を知った。ネットの世界は楽しくて、寂しい人だらけで、少し救われた。

その日もいつものように動画サイトを巡回していると、聞き慣れない単語があった。

『【ゆっくり実況】新マップを遊び尽くす』

のんびりとした喋りの動画かと思えば、喋っていたのは機械音声だった。Yahooでググるとすぐに、同じ声を出力するサイトが出てきた。

「……」

こ、ん、に、ち、は。

『こんにちはー』

う、わ、あ、あ、あ。

『うわあああー』

ふしゅ、と息が漏れた。イントネーションが変で脱力してしまうが、打つだけでここまで喋ってくれるなら、筆談よりも手軽で良いかもしれない。私は新しいおもちゃを手に入れた子供のように、手当り次第に文字を打ち込む。

どぅ、どぅ、どぅ。

『どぅどぅどぅー』

ららららら。

『らららららー』

気付いて驚いた。今打ち込んでいるのは、あの時歌った曲の歌詞だ。あんな事が起こって尚、私はまだ歌うことが好きらしかった。

(「キミの歌、好き」)

馬鹿みたいだ、こんなの。
それでも、タイピングは止まらない。

『らー、びんゆー……』

誰にも届かない機械音は、稚拙に、健気に、その歌詞をなぞった。

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