アレは女遊びではないしナンパでもない

ということを、なぜ男どもは気づかないのだろう?
そして、単に「時代が変わった」のではなく、そういう事実は今までも存在してきて、ただ「言えなかった」だけなのだということを

多分、彼らは「性的合意」など考えたこともないし、考えたくもないのだろう

女性の側からすれば
「私たちはNOを言う方法を教わっていない」
実質的には
NOを言うことは予め閉ざされている
選択肢がないにもかかわらず、「選択肢がある」と言うことは
常に強者の論理だ

それから
「言語化」というものをあまりに見くびっている
強者にとって、その論理は
「そこらじゅうに転がっているもの」
常識。誰に言ってもすぐに納得してもらえる
けれど弱者は
自分にとっての言葉を見つけることから始めないとならないのだ
そして、ようやく見つけて論理を紡いでそれを発信したところで
賛同はほとんど得られないばかりか、強者の論理が雨霰と降り注ぎ、再び傷つく
個人的には、何の益もない

いつから
社会は、個人は、こんなに無味乾燥なものとなってしまったのだろう?
強者が、強者の論理をがなりたてるだけの世界に、いったいどんな自由があるのか? 安らぎが

もうひとつ言うならば
性的合意は多くの場合、ゼロか百ではない
しかし私たちは、そのグレーを伝えていいとは教育されていない
そうすることで自分を尊重できるのだという論拠はそのへんに転がっていないし、自分のグレーを見極める方法も示されていない
そして「それ」を「やんわり」伝えようとしても、白か黒かしかないと思っている男は気づかない
さらに、「後になって白を黒だと言い出した、卑怯だ」と責め立てる

私たちはグレーを飲み込む
事後的に自分の中で消化して、白と黒に分類する
それには、何年もかかることもあるだろう
だって私たちは、言葉も、グレーの測り方さえも知らないのだから

彼らは言うだろう
「ヤるの? ヤらんの?」
イラついた声で
自分の愛する人でさえも
私たちは、自分のグレーを表現する言葉を持たない
そう言ってもいいのだと推奨されていない
そして、そうすることによるどんないい結果もイメージできない
だから飲み込む

声を聴け
自らの、相手の
話はそれからだ
それがどんな問題であっても