無題

いろんな「配慮」は置いといて、正直に記します

・普通であれば生きていけない、生きてこれなかった子を生かすのは、親や周囲の我がままとも言えるのではないか? 医療資源の無駄遣い
・かといって、こういうことがなければ医療は発達しない、というのもある
・優生思想による命の選別は否定されているので、その過程で死なせるという選択肢もなかったのでは?
・上記「普通」が何なのか? どこまでなのか? は文化や社会の思想や医療の発達度合いによっても変わってくるので、線引きは不可能であろう
・誰かがコメントしていたように「赤ちゃんのときはいい。大きくなってからが問題」、その通りだと思う。一般的に女性は、男性の障がい者(知的障害とかそういう系統)に対し、「(自己コントロールできず)怖い」というイメージしか持っていない。皆が「かわいい」と言ってくれるのも今のうちだけではないのか? 成長するにつれて、あまりに周囲の反応が変わってしまうというのは本人にとっても酷ではないのか?(アイデンティティクライスを引き起こしそう)
・「ここまでいけば大切にされてかわいがってもらえるのか……」と憂鬱になる人もいるのではないかと思う。マイナスを競い合い、より究極にマイナスでないと救われないというようなのは、それはそれでおかしい。誰もが「生きているだけで価値がある」と実感できていない世の中な一方、「生きているだけで価値がある」と称賛される人が存在するという矛盾
・頭蓋とその周辺に形成不全があるだけで、身体(首から下)的には健康なんだよなぁ……(少なくとも乳児のうちは)。逆に、どれだけ私たちが自他について「完璧であって当たり前」と思っているかを感じる
・生きていることが善である、と必ずしも私は思わない。ただ、命はなるべくなら生かすべきものだと思う。なぜなら、それは自分で作り出せるものではなく、与えられたものだから。生を妨げる社会的要因があるのであれば、極力取り除く努力を(社会が)すべきだと思う。しかし、彼が「生きたい」と言ったとき、自分が躊躇なく「イエス」と応えられるとは思わない。それが自分事であればあるほど