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てぇてぇとは関係性への祈りである

VTuber界隈には「てぇてぇ」という用語がある。語彙力が欠落した脳死バチャ豚の言語化を放棄した鳴き声にも聞こえる。しかしそれはその瞬間の尊さを讃えた関係性への祈りなのだ。

オタク過激派 1ヶ月前
今を知った我々だからこそ、この時の路線でやるのはもう無理という2ヶ月の橘ひなのの言葉はよくわかる。
もし今同じことをしようとしたら双方途中で笑ってしまうんじゃないだろうか。
個人的にはフィクション感じ溢れたやりとりやりも、
人と人らしくその時々の感情や状況で変化していく関係性のほうが好き。
それにしても最近は二人とも相手に対して色んな意味で甘えがすごいな。
半年後にはどうなっちゃうのほんと

オタクゲーマーかみとと、ぶいすぽ!IBG所属橘ひなののカップリングは、偶然にも二人共ツートーンの髪色でそれぞれお菓子のオレオとアポロに似ているためおれあぽの名で親しまれている。視聴者視点では照れ隠しを孕んだ友達以上恋人未満の関係性にも思えるが、かみとが「フィクションです」と強調したり、ひなのがカプ厨を喜ばせるための「てぇてぇ営業を擦れるだけ擦る」と言い放つように、寄せられる期待とは裏腹にその内実は気の合うApex友達という仲でしかないのだろう。しかし視聴者は配信外でもイチャイチャしてるんじゃないのと、妄想が真実であることを願ってやまない。フィクションであると当人たちが言ったとしてもアイドル化した形而上の人格とその偶発的なやりとりに願望を投影するのは無理からぬことだ。一般的に関係性は移ろい易く、脆く儚い。それが男女のものであったら尚更である。フィクションとされていても1%でも真実である可能性が残されているのであれば、そこに見出した価値が本物でこれからも続いていくことを願ってしまうのだ。

sarena cs 1 年前
自分が大好きな突発オフコラボ会…本当にありがとう。
まだ2人が収益化されてない中で、芸人の下積み時代かのようなノリで
展開されるこの唐突なオフコラボこそ正にてぇてぇの極み。
早く平和な世の中になって欲しいと切に願う

ホロライブ所属の桐生ココと天音かなた、通称かなココはコラボ回数も多く配信外でも仲の良さを伺わせていた。日常的なリアリティを持つ女の子同士の仲睦まじい関係性。そこに寄せられたコメントには「正にてぇてぇの極み。早く平和な世の中になって欲しいと切に願う」と、まさに祈りが綴られている。その後かなココの二人は同居しさらに距離を縮めたが、桐生ココが配信中に台湾を国として扱うデータを参照したことが中国ネットユーザーの逆鱗に触れ、彼女はVTuberを引退しホロライブを去ることになった。てぇてぇは外的な要因によっても簡単に崩れ去ってしまうのだ。ここでコメントを振り返ればそれを予見していたかのような切なさを帯びていることがわかるだろう。現在では同じ動画に失われた日常の尊さを偲ぶコメントが多数寄せられている。

そもそもネット世界など全てが虚構。画面を通して見えてくるものは洞窟の比喩を引くまでもなく氷山の一角に過ぎない。霧のベールに包まれた関係性を見通そうとすればするほど、簡単に足元を掬われ奈落の底へ滑落していくだろう。気を抜けば道に迷ってしまいそうなインターネットで正気を保っていられるように、人は妄想力を役立てる。この時、そうあってほしい願望とバーチャルというある意味都合のいい表象が結びつき、アイドル化し宗教的な構造を作り出すと共に、てぇてぇという祈りの言葉が紡がれる。

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