怒りの平和
なんだか気になることって人によって違って、
例えば幼い頃の私は、
寝室で母が携帯をいじる時がとても嫌だった。
もちろん子供だったから、携帯より自分の話を聞いて、触って、愛してるよって伝えて欲しかったのもあるけれど。
(母はいつも言葉でも態度でも伝えてくれていたけれど、私は貪欲にももっともっと欲しいと思っていたようだ、恥ずかしいね。)
昔の、パカパカするタイプの携帯は、
スマホとは違って、ボタンが沢山着いてて。
押すと、爪やら指やらが当たって、ボタンが底について、1つずつカチカチと音がした。
その音と、暗闇に浮かぶ母の無表情が私はどうにも苦手で、いつも寝返りをうつように背を向けて丸まって耳を塞いだ。
いつからか、議論がすきだった。
違う考えや立場、感情を持った人同士が、
言葉を駆使して分かり合おうと、分かろうと、わかってもらう姿が楽しくて、言葉が好きなんだろうね、議論が好きだった。
でも、例えば学校の議論会でも、国会でも、ラジオでも、いつしか議論ではなくて、誹りあい、怒りあって、議論とは関係なく互いの粗を探すような感じになってしまうな、と思う。
議論は好きだけど、人の怒りとか、そういった感情に弱いので、楽しい議論を見つけるのは難しい。
そんなこともあって、確固とした好きなものを持った人は好き、好きな物以外に興味がなくて、わざわざ人の場所を荒らしにいかないから。
eriさんがすきでね、彼女の愛に満ちた愛らしさとすきのパワーが無限大に元気をくれるような人柄がだいすきで、憧れなのだけれど、
今Spotifyでやってるもしもし世界、内容は勉強になってとても好きなんだけれど、怒りに満ちていて悲しくなってしまう。佐久間さんが、とても賢い方(失礼な言い方かな)だけれど、いつも怒っていて、萎縮してしまう、勝手に。
でもきっと、政治や世界を動かすのは怒りのパワーなんだろうなとも思って、とても、とても、世界平和なんて難しいのだな、などと考える金曜の夜。
今週も、そして今月もお疲れ様でした。
おめでとう給料日!
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