日記でGO 5月30日
5月30日
6時過ぎに起床。歩いて我が家に帰り、布団に寝転んで読書。
8時。アマゾンを徘徊し、Kindle版を二冊購入。
千葉雅也『アメリカ紀行』を読んでいたら、私が大好きなメルヴィルの「バートルビー」(に対するドゥルーズの批評)の話が出てきた。Kindleを閉じ、桂枝雀の「代書屋」をYouTubeで見たり(「バートルビー」の原題は「Bartleby, the Scrivener: A Story of Wall Street」。「Scrivener 」は「代書人」と訳されたことがある)、「司法書士」をWikipediaで調べたり、うだうだと1時間ほど。で、お昼時間。
14時起床。いつのまにか昼寝していた。
15時。『アメリカ紀行』読了。酒が切れていたので、近所の商店に行く。本日も晴天なり。梅雨入りしたというのに、どうしてかしら。
そういえば今朝、
「晴れてばかりで怖い。いつかすごい大雨が来そうで怖いです」
と、令和の女がぼそっと言っていた。
これって逆にいうとわかりやすいはずで、小さな不幸(「転んで膝を擦りむいた」とか「キッチンでゴキブリを発見した」とか「テラスで大事に育てていたミニトマトがカラスに食べられた」とか)がちょいちょいあると大きな不幸は起きない、あるいは起きないと思えるーーということだろう。たぶん。
雨が不幸だとしてーー晴れの日が続くとその不幸が空に溜まっていき、いつか土砂降りと化すぞ、というわけだ(私と令和の女が暮らす地域は、これは大げさじゃなく言うのだが、歴史的に見ても、経験に照らしても水害が多い地域で、土砂降り=避難なんです)。
と、ここで思い出したのがーー「ここで」というのは今朝、令和の女に言われた時点で、という意味です。あの時の私はそれ(「それ」はこれから書く)を思い出していたせいで、彼女に何ら返事をしなかったと思うが(正直、したかしなかったは覚えていない)だから? 正確に表すなら、「そこで」と記すほうが正しいのかもしれないーーそこで思い出したのが最近読んだ『新記号論』で、
そこから引用しようとしたが、面倒なのでしない。
流体力学。乱暴にいうと、ヒトの欲望というものは流体的でその流れが堰き止められると神経症になる、とフロイトは考えたのではないか、そしてそれは今現在の脳神経科学的にも正しいのでは、つまりヒトの脳は0か1かのコンピュータ的にではなく、水が多いか少ないかを目で見て判断するようにアナログ的にできているのではないか、みたいな。
海は広いな大きいな
我らが地球、その地表というのか、、70%を占めるのが海であるが、当たり前だけど空は海よりも広い。空には海以上に不幸を溜め込める大きさがある。海よりも広く大きい空は、海よりも大きな不幸を広範囲にわたって溜め込める。
あの空は、地上に起きるであろう小さな不幸の数々を搾取して溜め込み、ある日、地上に大きな不幸を降り注ぐために、からりと晴れている。
今日、ずっと聴いてたのはこれ👇
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?