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Songs for Today's Birthday 4/16 - Dusty Springfield

Dusty Springfield

ダスティ・スプリングフィールドは、1939年4月16日、イギリスのロンドンでメアリー・イザベル・キャサリン・バーナデット・オブライエンとして生まれました。

彼女の音楽に対する愛情は早くからあり、幼い頃、彼女は兄のディオンと組んで、両親のガレージで一緒に歌っていました。彼らは自分たちのコラボレーションを録音するのが好きで、1950年代後半には観客の前で一緒に演奏するようになっていました。

1960年代初頭、メアリーはラナ・シスターズというキャバレーに短期間参加した後、兄と再会して新しいグループ、スプリングフィールズを結成しました。ディオンはティム・フィールドというヴォーカリストと活動を始めていましたが、彼の名字からインスピレーションを得て、トリオは「スプリングフィールズ」と名乗るようになりました。さらに、兄妹は自分たちのステージネームも取り入れて、メアリーはダスティ・スプリングフィールド、兄はトム・スプリングフィールドと名乗るようになりました。

フォーク調でポップなサウンドは、後にビートルマニアを虜にすることになり、スプリングフィールズは"Island of Dreams"(1962年)、"Say I Won't Be There"(1963年)など、イギリスのトップ5ヒット曲を数曲録音しました。1962年にリリースした"Silver Threads and Golden Needles"は全米チャートで20位を記録し、当時のイギリスのグループには珍しく、アメリカでも注目を浴びることになりました。

1963年末、スプリングフィールズは解散し、ダスティ・スプリングフィールドはソロとして成功を収めました。その後半世紀にわたり、ダスティ・スプリングフィールドはポップチャートの常連となり、その成功はスプリングフィールズの解散からわずか数ヶ月後に始まりました。1964年1月にヒットした"I Only Want to Be With You"は、英国で4位、米国で12位を記録しました。

1965年から1968年にかけて、スプリングフィールドは "Some of Your Lovin'"、"Little by Little"、大成功した "You Don't Have To Say You Love Me "など数々のヒット曲を生み出しました。

1968年に発表したアルバム『Dusty in Memphis』は、メイヴィス・ステイプルズやアレサ・フランクリンを敬愛していたシンガーが、フランクリンやレイ・チャールズのアルバムを手がけた伝説の音楽プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーと組んだもので、彼女の成功の頂点となりました。


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