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Songs for Today's Birthday 2/28 - Barbara Acklin

Barbara Acklin

バーバラ・アクリンは、1943年カリフォルニア州オークランドで生まれ、48年に家族とともにイリノイ州シカゴに移住しました。11歳の頃にはニュー・ザイオン・バプティスト教会で定期的にソリストとして歌い、10代でシカゴのナイトクラブで歌うようになっていました。高校卒業後、セント・ローレンス・レコードで秘書として働き始め、彼女の最初のレコードは、子会社のスペシャル・エージェント・レーベルからバーバラ・アレンという名でリリースされました。またチェス・レコードでは、フォンテラ・バス、エタ・ジェイムス、ココ・テイラーなどのレコーディングでバックシンガーとして活動していました。

1966年、彼女はブランズウィック・レコードのシカゴオフィスで受付嬢として働き始め、そこでプロデューサーのカール・デイヴィスに自作の曲のデモ・レコーディングを提出していました。元ファイブ・デュトーンズのデヴィッド・スコットと共作した"Whispers (Gettin' Louder)"は、ジャッキー・ウィルソンが録音し、彼の3年ぶりの大ヒットとなり、ビルボードR&Bチャートで5位、ビルボードホット100で11位を記録しました。その後、ウィルソンは彼女にブランズウィックとのレコーディング契約を取り付ける手助けをしてくれました。このレーベルからの最初の2枚のシングルは売れませんでしたが、3枚目のジーン・チャンドラーとのデュエット曲"Show Me the Way To Go"はR&Bチャートに30位にランクされました。彼女はブランズウィックのもう一人のレコーディング・アーティスト、チャイ・ライツのリード・シンガー、ユージン・レコードと曲作りを始めました。彼らはピーチズ・アンド・ハーブのヒット曲"Two Little Kids"を作曲し、レコードとデイヴィスはアクリンの最初で最大のソロ・ヒット曲"Love Makes a Woman"を共に作曲・プロデュースしました。このシングルは、1968年7月にR&Bチャートで3位、全米ポップチャートで15位を記録しました。

アクリンはその後4年間、ブランズウィックから、チャンドラーとのデュエット曲"From the Teacher to the Preacher"や、レコードのプロデュースによるソロ・ヒット"Just Ain't No Love"、"Am I the Same Girl"など、ヒット曲を連発することになりました。同時に、ユージン・レコードとの共同作業を続けていて、アイザック・ヘイズのアルバム『Hot Buttered Soul』('69)のモノローグに感銘を受けたレコードとアクリンは"Have You Seen Her"を書き、この曲はもともとチャイ・ライツのアルバム『(For God's Sake)Give More Power to the People』('71)のアルバム曲だったが、シングルとしてリリースされることになり、R&Bチャートで1位、全米ポップチャートで3位を記録するヒット曲になりました。レコードとアクリンはチャイ・ライツのために他にも"Stoned Out of My Mind"('73 R&B第2位)、"Toby"('74 R&B第7位)などのヒット曲を共同作曲して成功を収めました。


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