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Songs for Today's Birthday 2/7 - King Curtis

King Curtis

カーティス・モンゴメリーはテキサス州フォートワースで生まれて、オーズリー家の養子となり幼少期を過ごしました。彼は12歳の頃にサックスを吹き始めて、高校時代には学友にオーネット・コールマンがいて、互いに音楽を学び演奏していたといいます。彼は、ジャズ、R&B、ポピュラー・ミュージックなど幅広く興味を持ち、学生時代には大学の奨学金を断って、ライオネル・ハンプトン・バンドに参加しました。

1952年、カーティスはニューヨークに移り住むことを決め、セッション・ミュージシャンとなり、プレステージ、エンジョイ、キャピトル、アトコなどのレーベルでレコーディングを行うようになっていきます。

サックス奏者のレスター・ヤング、ルイス・ジョーダン、イリノイ・ジャケ、アール・ボスティック、ジーン・アモンズから影響を受けていて、セッション・ミュージシャン時代には、リチャード・ティー、コーネル・デュプリー、ジェリー・ジェンモット、バーナード・パーディーなどとグループを結成していました。

セッション・ミュージシャン時代には、R&Bのジャンルで活躍していて、よく知られるところでは、コースターズの"Yakety Yak"や"Charlie Brown"の録音に参加、バディ・ホリーは彼を自身のバンドに招いて、"Reminiscing "を録音した時には、バディはカーティスを作曲者にクレジットしました。この時期の彼自身の最も有名なシングルは "Soul Twist "で、62年R&Bチャートで1位、全米ポップチャートで17位と、彼の最高のチャートになりました。

65年、彼はアトランティック・レコードと契約、67年のシングル"Memphis Soul Stew"と"Ode to Billie Joe"はどちらもR&Bチャートで6位とヒットしました。彼はコースターズと活動し、アレサ・フランクリンのバックバンド、キングピンズを率いていて、キングピンズは65年のビートルズのシェイ・スタジアムでの公演でオープニングアクトを務めました。71年3月にはアレサ・フランクリンとキングピンズと共にフィルモア・ウェストに出演し、2枚のライブ・アルバムを発表しました。それが『Aretha Live at Fillmore West』と、カーティス自身の『Live at Fillmore Wes』の2枚のライブ・アルバムです。また彼は、ダニー・ハサウェイを発掘したことでも知られています。


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