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京街道を歩く 2 大阪編Ⅱ      京橋~千林商店街~東通商店街 

京橋から街道沿いに歩いていくと
野江水神社(のえすいじんじゃ)がある

水の都と呼ばれる大阪だが、この辺りは土地が低くたびたび水害に見舞われたことから、天文年間、三好政長が榎並城を築く際、水火除難の守護神として建立したのが起源といわれている。
現在も水道工事やお風呂屋さんなど水に関係する人の参拝が多いという。
筆者も事務所ビルの水回りで苦労した経緯もあり、手厚く参拝。

千林商店街

京阪電車の「千林駅」と地下鉄谷町線「千林 大宮駅」の間、約700m を結ぶ商店街。
戦後、 ダイエーの1 号店にあたる「主婦の店ダイエー」が開店し、
「日本一安い商店街」と呼ばれたと いう。
下町の風情がいまも残り、「一 ・十・百・千( いちじゅうひゃくせん) せんばやし♪…」と
デュークエイセスが歌う テーマソングが今もアーケードに流れている。

京阪東通商店街(守居神社前)

守居神社は京阪東通商店街のアーケードに通じている

(守居神社前)

とりあえず昼食。サービス満点のホットサンドとコーヒー(喫茶 白山)
さすがに商業の町大阪。観光客で賑わう繁華街の有名商店ばかりでなく、下町の商店街がどこも元気なのが何とも嬉しい。守居神社は淀川流域の守護神として信仰が厚いが、入り口はすっかりこの商店街の一角に溶け込んでしまっている。アーケードの出口には手描きの看板があり、この商店街の道が京街道そのもの、そして東海道に繋がっているというメッセージのようだ。

京かいどう(碑文)
京街道は大阪と京都を結ぶためにつくられた幹線で、豊臣秀吉が文禄年間(1592~1597)に淀川左岸の堤防を改修し、堤防上に陸路を開いたのに始まる。当初は、大阪城の京橋口がこの街道の起点で、ここから片町、蒲生、関目、今市、そして守口、枚方、橋本、伏見を経て京に至るのが、その経路であった。江戸時代になって、起点は高麗橋東詰に移ったが、大阪が天下の台所として栄えるにつれ、その利用度も増し、参勤交代の大名や商人、旅人などで大いににぎわったという。その後国道一号が整備され、往時の面影はなくなったが、京街道の名は、今もなお人々の心の中に生き続けている。 
昭和六十年  大阪市

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