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ルーブルへ行く

独り身の休日あまりの暇を持て余した挙句、最近観たジョジョの映画にも触発され、先日国立新美術館へルーブル展を観に行った。

最終日近くだったのもあってか、人がいっぱいでめちゃくちゃ並んだ


正直絵画などに全く造詣が深くないので、絵だけを見ても「きれいやねえ」以外の感想が全く浮かんでこないため、基本的には展示品の横にある説明等を逐一読みながら「ほへ〜」と思うなどしていた。

展示会のテーマは「愛」ということで、それにちなんだ作品が諸々展示されていたのですが、自分の教養が無いせいで作品が描かれた当時(17〜18世紀ごろ?)の人々の愛の表現にあまり共感できず、展示を見ている間中ずっと(わ、わからねえ…あっしには早すぎたか…)
と思いながらの鑑賞となりました。

特に分からなかったのが『放蕩息子の帰宅』という作品。
実家を出て放蕩していた息子が親の財産を使い込み、挙句の果てに生活が苦しくなって、「また家においてほしい」と親に謝りに行く。父親はそんな息子を叱咤することもなく深い愛でもって息子を抱きしめ、豪華な衣服と食事を与える、みたいな背景の作品だったと記憶しているのですが、この「息子が自らの過ちを素直に認めて懺悔する」→「親は息子の過ちを慈愛で持って赦す」、これこそがキリスト教的な深い家族愛です、という流れに
私の心の中のダイアンユースケさんが「いやいや、流石にちょっと息子さんのこと甘やかしすぎちゃいますのん」と叫んでいた。

ある種の悪意で持って過ちを犯した人には、赦しの前に何かしらの罰や試練があって欲しいと思うのは、現代を生きる中で生じた固定観念なのかも知れないけど(特に最近のネット社会はそれが行き過ぎているような気もするが)、息子のあまりのクズムーブっぷりに、「お父さんね、コレ赦す前に何かしらの禊をさせな息子さんまたやらかしまっせ」とどの立場から言ってんのか分からないことをつらつらと考えてしまった面倒くさい人間です。
(なんかもっとキリスト教のこととか知ってたらまた違った解釈になるんだろうけど)

※上記はあくまでも絵画や歴史、宗教に全く知識のない一個人の解釈で戯言を述べているだけなので、もし間違いがあったら私をぶっ叩いてください

他の作品も同様にその背景にある歴史や思想が分からずであまり楽しめなかったのですが、宗教画とかにありがちな裸体の絵のどれもが局部を隠すのが上手すぎてToLoveるみてえだな〜とか思ってたら展示観終わってた

アポロンが出てる絵。局部の隠し方が強引


普段あんまり美術館とか行かないけど、もっと教養つけないかんっすね〜自分、と思った1日でございやした。

おわり


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