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The Chair-man 椅子屋になった男の話#1

今から25年前、僕は
古町の外れにアトミックモダン(後のアパートメント)という店名の椅子屋をオープンしました。

まずは、そのきっかけとなった 出来事のお話です。

1965年、書店を経営していた父の 長男として産まれた僕は、
10代後半にアメリカに渡り、20代前半で日本に帰国。
その後、東京にある外資系の証券会社に勤めた後、
1988年 家業を継ぐ為 新潟に帰郷しました。

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しかし、父の経営していた会社は帰郷後 6年ほどで倒産。数億円の借金が残りました。
銀行の抵当に入っていた為 実家も無くなり、
父と母は東京に、僕は祖父母と共に新潟に残りました。

とにかく何か仕事をしなければならず
取り敢えずパチンコメーカーの営業職に就きましたが、1年で退職。

その後 
何かビジネスチャンスがあるのでは と、台湾へ行ったりもしました。
アメリカにいた頃の台湾人の友人から、台湾がとても親日であることを聞いていたからです。
しかし、当時の台湾の経済状況では ビジネスは叶わず
結局数ヶ月で帰国する事に。

帰国後は やりたいこともなく
毎日毎日 ひたすらビデオを見て過ごす生活でした。
そんな日々を送っていたある日。

M君から突然電話が来ました。
彼は昔、まだ家が裕福だった頃 よく一緒に遊んでいた友人です。

今振り返ってみても、その電話が後の僕にとって人生最大の転機となりました。

その頃はM君とはすでに交流も無く、 もちろん電話番号も知らないはずでした。

用件を聞くと、「話があるから会って欲しい」とだけ。
断る理由もなく、「どこかで会おう」と応えると、
「家に行っていいか?」と聞かれました。
M君は 僕の電話番号だけではなく、家の住所まで知っていたのです。
でも僕が住んでいたのは Mくんと遊んでいた頃の実家ではなく 全く別の家。
今と比べれば、まだまだ情報量や連絡手段の少ない時代です。
M君が何故僕の住所まで知っているのか、ただただ不思議でした。

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彼は家に来て早々、現金200万円を差し出しました。
僕は驚き、「このお金は何だ」と聞いてみると、

「子供の頃から積み立てていた定期預金が満期になったから、
このお金でアラタの好きな事をやってくれ」というのです。

話を聞くと、
彼は江戸時代から代々続く魚屋の長男で、
いよいよ会社を継がなければならなくなった とのこと。

そんな彼は、
僕と昔、よく2人でナンパに出かけたことや
新潟県内のつぶれそうな店を周り、デットストックのジーンズやスニーカーを千円単位で買って、東京で10倍以上の値段で売って遊んだこと、
そんなことをしていた時が一番楽しかった、と話し

「このお金でアラタの好きな事をやってくれ、
それが、俺のやりたい事なんだ」と言ってくれました。

そこまで言ってくれるのなら 引き受ける他ありません。

その200万を、"貰う"のでは無く ”借りる" という形で納得してもらって

当時まだ日本には無かった 「カフェ」を2人でスタートする準備を始めたのでした。


1995年。僕が30歳の頃のことでした。


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