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The Chair-man 椅子屋になった男の話#2

僕がアメリカ(L.A.)にいた頃、ダウンタウンの裏通りに”アトミック・カフェ"と言うカフェがありました。
僕がアメリカにいたのは80年代。その頃にはヒッピー文化は廃れていましたが、
70年代にはビートニクの詩人が沢山集まっていた、すごく雰囲気の良いカフェでした。


そのカフェによく通っていたことを思い出し、
名前を貰って”アトミック・カフェ"というのを始めようと思いました。
当時日本には 喫茶店はありましたが、L.Aにあったようなスタイルのカフェはありませんでした。



物件を探し始めると、200万では予算が足りない事がすぐに分かりました。
仕方がないから費用を抑えるために安い家具を探そう、と
二人で市内の中古屋を回ると、その中の一軒に山ほどいろいろな古い椅子がありました。

古い椅子の中に一脚だけあったイームズのサイドシェルチェアを見つけ、M君は僕に「アラタ知ってる?」と聞きました。
M君は50’sが大好き。50年代の椅子といえばイームズですから、彼はもちろんイームズのことを知っていました。

当時の僕は “イームズ” “サイドシェル”なんて呼び方こそ知りませんでしたが、
その椅子に見覚えがありました。

「ああ、その椅子、知ってる 知ってる。確か、ホームステイ先の庭に置いてあった。 」

その時僕たちは漠然と、 「カフェにイームズの椅子を使おう」と決めました。


まずは椅子の販売元を知るために、
L.A.のホームステイ先に久しぶりに電話しました。


ホストマザーに、「庭で使っている椅子ってどこで買ったの?」と聞くと
「何十年も前の事だから覚えていないけど、裏に"ハーマンミラー"と書いてあるから、連絡先を探してあげるわ。」
と言ってくれました。

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その後電話番号を聞いて、ハーマンミラーの本社に直接電話をしたのです。
(モダニズム家具の世界的メーカー、あのハーマンミラーです。)


ハーマンミラー社に電話がつながると、
「お前はどこから電話をかけているんだ?何人だ?」と聞かれました。
英語の訛りが気になったのでしょう、「日本人だ」と答えました。


そう伝えると向こうは
「ラッキーだな、今年ハーマンミラーに初めて日本人の現地採用の新卒が入社した」と言い、その日本人スタッフと話をさせてくれました。

今でも忘れない コンドウレイコさん。(今ではハーマン本社でかなりの地位にいるしい)
コンドウさんに話したところ「ハーマンミラーでは あの椅子(シェルチェア)はもう作っていない」とのこと。

「ロサンゼルスにあるお店に売っているって聞いたことがあるから、
そこの電話番号を探してあげるわ」

そして教えてもらったのが、
今ではシェルチェアの製造で有名な、LAのMODERNICA(モダニカ)です。
当時はまだ ハーマンミラー社のヴィンテージシェルチェアを修繕、販売している会社でした。


電話で話した社長のジェイが
「アラタお前はラッキーだ、東京店が出来たばかりでそこに連絡を入れておくから 東京店に電話してみろ」
というのです。


ラッキーにラッキーが重なった 電話のたらい回し。
イームズのシェルチェアの購入まで、あともう一歩です。

くしくも偶然、
丁度その頃、ブルータスで初めてのイームズ特集が組まれた時期でした。

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つづく


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