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自分を愛するということ #すきは無敵だ キャンペーンに寄せて

自分の身体がすきだ。
そう思うのに20年かかった。
すきって言葉はすごく重くて、難しい。

きっかけの1枚


私のすきは1枚の写真から始まった。


小さな頃に家族といった沖縄旅行。
コバルトブルーの海。
原色鮮やかな那覇の町。
それからなんとなく沖縄に憧れていた。


昨年の12月、初めて1人で旅をした。

行きの飛行機のチケットだけ取って、泊まる宿のあてもそこそこに。
正しいと信じて生きてきたレールを走るのに限界を感じた時だった。
壊れかけた自転車を、ついに降りて沖縄に行った。

旅の最後に、せっかくだから記念写真を撮ろうと思った。
初めての一人旅記念。
家族経営の琉装スタジオの大きくて優しそうなおじさんが「綺麗ですねぇ」と目を細めながら撮ってくれた。
出来上がった写真を見てびっくりした。
写っているのは紛れもなく私自身。
なのに、魔法にかけられたみたいにキラキラしていて、まるで自分でないような気がした。

貴方は美しくあって良いのだと、初めて許された気がした。

私は私の身体を、すきで良いのだ。

そしてそれはほかのすべての人についても同様に。

諦め続けた幼少期

物心ついた時からぽっちゃりだった。

小学2年生くらいのとき。
授業で作った自己紹介パンフレットに、体重32キログラムと書いた。
本当は35キロくらいあったけれど、ごまかした。
健康手帳に記される身体測定の結果が、何よりいやだった。
みんなできる逆上がりや二重跳びが、できないのが恥ずかしかった。
持久走は苦しくて、いつも悔しかった。
集合写真に写る自分を見るのが、とてもつらかった。
誰かに容姿のことをからかわれた日には、この世から消えてしまいたくなった。

なんで私はかわいくないのだろう

無意味な自問を幾度となく繰り返した。
自分ではどうにもし難い手や顔や足を見て、神様を恨んだ。

本当はかわいい格好をしたかった。
短いスカートも履きたかったし、
フリフリのワンピースにかわいい髪飾りもつけたかった。

でも、私はかわいくないから。
太っているから。
他の女の子みたいにはなれないから。

そうやってわきまえているフリをした。
なるべく体のラインが出ない服を着て、おしゃれには興味のない顔をした。
次第にふくらんでいく自分の胸が恥ずかしくて仕方なかった。
体育の授業で水着に食い込む己の肉体を晒す時は拷問にかけられている心地がした。

そうやって女の子になることを諦め続けてきた。

転換点

ずっと抱えてきた容姿へのコンプレックスが頂点に達したのが、社会人1年目。
去年の11月だった。
新卒で地方マスコミに就職した私は、最高に自信がなかった。

体重は過去最高数値を記録していた。
忙しいのもあったし、こんな醜い見た目で化粧をしても仕方ないと、いつもすっぴんで仕事に行った。
軽自動車の中でカップヌードルを貪り、帰って風呂にも入らずに眠りに落ちることもしばしば。

そんな自分が全然すきじゃなかった。

生きている感覚が持てなくなり、深呼吸ができなくなった。
醜い自分が嫌で、嫌で、死にたくなった。

もう無理だ!

でも、死ぬくらいならやりたいことをしてからでも遅くない。
そう思って沖縄に飛んだ。


こんなに楽で良いのだろうか

沖縄は天国だった。
12月なのに半袖で大丈夫なくらい暖かくて毎日自由気ままに遊び暮らした。
今までの人生では決して出会うことなどなかったユニークな人とたくさん会った。
こんなに毎日楽しくて良いのかと不安になるくらい楽しかった。
ふと、そんな不安を口にすると、隣にいる人たちは
「ダメなわけないじゃん」
と笑い飛ばした。 

私はもっと自分を許しても良いのかもしれない

と思うようになりつつあった時、撮ってもらった1枚だった。

私はもっと自分の身体を愛しても良いのかもしれない

離陸する音が機内に響く中、もらった写真を眺めながらそんなことを思った。

今の話


それから1年が経った。
自信がなくて大嫌いだった自分の身体。
今はそこそこ気に入っている。
10月に一眼レフを購入した。
1年前に琉装スタジオのおじさんがくれた希望を私も誰かに届けたくて。
前職で得た知識と技術をなんとか駆使してシャッターを切る。

まもなくして写真を載せるSNSを始めた。
撮ることを始めると、撮られる機会も自然と増えた。
撮られた自分は思い通りでないものも沢山ある。
ブスだなぁと思う時もある。
でもいつのまにか不快には思わなくなっていた。

ポートレートモデルをやる人は、生まれつき顔立ちや体型に恵まれた、いわゆる女の子だけだと思っていた。
私とは縁がない世界だと思っていた。

でもそんなことはないのだ。
縁がないのは自分がそこに向かわないからだった。
一歩を踏み出してみると案外、世界は開けていた。

私は女の子なのだ。
かわいいお洋服を着ても良い。
カラフルなメイクをしても良い。

私は私の身体がすき。
小さい頃に憧れたぱっちりした二重でも
すらっとした長い足でもないけれど。 

でもそれが私だから。

そしてそれは他のすべての人についても同様に。

おわりに


シェアハウスに一緒に住んでいたよしみで、2つ返事で依頼を受けたは良いものの、何を書いたら良いか分からずに、ずっともやもやしていました。

自分がすきだ、で一度書こうとしたのですが、それでは広すぎて、あまりにもとりとめのない、ただの自分語りになってしまいました。

だから一度は諦めたのですが、仕事も無事納め、時間ができた年末に、1年を整理するついでに文章を書きました。

きっと私が書いたことは#すきは無敵だ の趣旨とはちょっとずれてしまうのだと思います。
もっと気軽に、気兼ねせずに、好きを発信していくことが、この企画の意図なのですから。
20年かかってようやく言えるようになったなんて一見真逆のお話です。

でも、どんな種類のすきも、根っこのところは同じなのではないかと、たくさん考えた末に思うようになりました。
すきという言葉の使い方、頻度は人それぞれかもしれません。
でも、抱いている気持ち…いや、そんな綺麗な言葉ではまとめられない、もっと何かぐちゃぐちゃした得体の知れない心の動きは同じではないかと思うのです。

それはその人の根幹に関わるものであり、やはり他者によって安易に否定されてはいけないものです。

私は幼少期の惨めな体験から、自分の身体を自分の個性として受け入れられずにいました。

それは他者との比較から生まれたものです。
みんなが憧れるお人形のような顔や手足を持っていない自分を恨みました。
かわいいお洋服が似合う同級生を羨ましいと思いました。

でもそのコンプレックスは、今思えばどんなに否定しても否定しても、やっぱり捨てきれない自分をすきな感情、愛着の裏返しだったのだと思います。

それを認めてやると、ずいぶん楽に生きていけるようになりました。

写真1枚に救われた気持ちを、今度は写真1枚で救う側に回りたい。

私は現在、
「すべての人間は美しい」
と銘打って、カメラマンをやっています。

といってもまだまだ修行中の身ですが。
もし撮られても良いよ!という方がいらっしゃいましたら気軽にお声がけください。

すきを肯定することは、自分を肯定することなのだと信じて、シャッターを切っています。

長くなりましたが、ここまでお付き合いいただいた皆様には、心から感謝申し上げます。

寒さの厳しい季節です。どうか「ご自愛」くださいませ。

2020/12/30
「#すきは無敵だ」キャンペーンに寄せて。 

photo by ちえさん

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