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死んだ恋人に会いにいく 第47話

第七章 終わりから始まりへ

再会

「お正月はご家族と過ごされるんですか?」
 帰りの道中でそう聞かれ、そういえば両親が機上の人であったことを思い出す。
「いや。うちの親、旅行に行ってるから」
「え、またですか?」
「今度は沖縄だって」
 母などは水牛車に乗るのだと意気込んでいた。
 実は私も以前、仕事で行った時に水牛車は体験済みであった。
 正直なことを言えば、あれは少し離れたところから見ていたほうが夢があるなと、少しだけ残念に思った記憶がある。
 それはそうと、そんなわけで私の今後の予定は未定であった。
「かなたさん。以前の別れ際に私が言ったことって覚えてますか?」
 それは言うまでもなく今年の八月のことなのだろうが、正直にいえばまったく覚えてなどいなかった。
 何せあの日はあのあと、元恋人と一悶着も二悶着もあったのだから。
「なんだったっけ?」
「今度こっちに帰ってきたらどこかに連れてってくださいって、そう言いました」
 そういえばそんなことを聞いたような気がする。
「どこか行きたいところがあるなら行くよ」
「じゃあ、このまま真っ直ぐでお願いします」
 少しだけ頼りないナビに案内されて着いたのは、この町にある唯一のスーパーマーケット『ニューロマン』だった。
 昭和時代の遺構のような古いスーパーだが、今日は大晦日なだけあって所々ひび割れたアスファルトの狭い駐車場には、中古車展示場よろしく車がびっしりと並んでいた。
「こんなところに来たかったの?」
「はい。今夜のお夕食の買い出しです」
「だったら隣町にあるショッピングセンターまで行くよ」
 あちらのほうが品揃えも良いし、何よりここのようにうらぶれた雰囲気とは無縁で、ショッピングをするにしても楽しそうだ。
「ここがいいです。お母さんともよく来るので、どこに何があるかわかってますから」
「なるほど」

 あれやこれやと商品を物色する彼女の後ろを、車輪のベアリングのグリスが切れたカートをキコキコと押しつつ、縦横無尽に走り回る子どもたちを轢いてしまわぬよう気をつけながら追いかける。
「茉千華ちゃんの家って、夕食は茉千華ちゃんが作るんだ?」
「いえ、お母さんが作ってくれます。私の担当は主に洗い物です」
「ん? じゃあこれは何の買い物なの?」
「だからお夕食です」
 どうにもちんぷんかんぷんだったが、彼女には彼女なりの考えがあるのだろう。
 今の私に与えられた使命はといえば、親ガモに続く子ガモのように彼女の背中を見失わぬよう、ただひたすらに追従することだけだった。
 ようやくすべての買い物が終わり、大量の食材が詰まったレジ袋Lを両手に下げて駐車場へと戻ってくる。
 せっかくの正月休みなのだから食べきれないことは承知の上で、バケツサイズのアイスやファミリーパックのポテチまで買い込んでしまった。
「茉千華ちゃんごめん。後部座席のドア開けてもらってもいい?」
「あ、はい」
 座席の上にレジ袋Lを置いて息を吐いた私の上着を、彼女がくいくいと引っ張った。
「どうしたの? なんか買い忘れ?」
「道の反対側にある薬局に寄りたいんで、ちょっと行ってきてもいいですか?」
「だったら車をまわすよ」
「大丈夫です。五分か十分くらいで戻ってくるので」
 そういうやいなや、脱兎の勢いで駆けていってしまう。

 運転席でスマホに相手をしてもらいつつ、逃げた兎を待っていた時だった。
 隣に止まっていたSUVに、小さな男の子を連れた若い夫婦が乗り込み去っていくのが見えた。
 それからたった数秒後にはもう、空いたスペースにシュコラカラーの軽自動車がゆっくりと後退しながら入ってくる。
 この店の年間売り上げのうち、いったい何パーセントほどが本日計上されるのだろう?
 そんなどうでもいいことを考えながら視線を横に向けると、車輪を止めたばかりの軽自動車のドライバーがこちらを窺い見ていることに気がつく。
 前向き駐車の私の車と、バックで駐車している軽自動車の運転席は、ほんの一メートルほどの距離で近接しており、目を凝らすまでもなくその相手が誰であるのかはわかった。

「中原くん、こっちに戻って来てたんだね」
 最後に会った一年前よりも少しだけ髪を伸ばした彼女は、最後に会った一年前と同じように屈託のない笑顔を見せる。
 私はといえば――なにせ彼女とはあんなことがあったのだから――下手くそな笑顔で応じるのが精一杯だった。
「ちょっと用事があってね。芝川さんは帰省?」
「あ、うんとね。私、今年の春からこっちに戻ってきてるの。中原くん、隣のクラスにいた長谷川はせがわくんって覚えてる?」
 長谷川は二年の時にわが校の生徒会長だった男で、当時の私にとってはちょっとした天敵でもあった。
「当然よく覚えてるよ。生徒大会で彼が擁する生徒会に槍玉にあげられたことがあるから」
「あはは! そういえばそんなこともあったね」
 あの時は人身御供として藤田を差し出し難を逃れることができたが、危うくもう少しで坊主頭にされるところだったのだから忘れるはずもない。
「で、その長谷川君がどうしたの?」
「私いまね、彼のお父さんの会社で事務のお仕事をやらせてもらってるの」
「そうなんだ。長谷川君は元気でやってる?」
 正直なところ、彼の安否にはほんのこれっぽっちも興味はなかった。
 しかし、大人の話には流れというものがある。
「うん。今日このあと彼の家にお呼ばれしてて。それで差し入れのお酒とおつまみを買いにきたの」
「へえ」
「もしよかったら中原くんも一緒にこない? 彼、きっと喜んでくれると思うよ」
 彼女の気遣いは嬉しかったし、こうして更生した姿を彼に見てもらいたいといった、自分でもまったくよくわからない欲求もほんの少しだけあったが、二人の楽しい時間の邪魔をするほど私も野暮ではない。
「せっかくだけど、ちょっと人を待ってるんだ」
「あ、そうなの? 誰?」
 まさか『誰?』とくるとは思わなかった私は、咄嗟に便利なスケープゴートこと藤田の名前を出したのだが、「え、藤田くんってあの藤田くん? 懐かしい! 挨拶だけでもしたいな!」と、思いっきり墓穴を掘ってしまったのであった。
「ああ。なんか腹が痛いって言ってトイレに走ってったから、多分もうしばらくは戻ってこないと思うよ」
「えー残念」
 なんとか難局を乗り切った私だったが、直後に訪れた最悪の局面から逃れる術までは持ち合わせていなかった。
「すいませんおまたせしました!」
 この世界には神などいないのだから、こういうこともままあるのだろう。
「――え? 唯……ちゃん?」
 芝川さんが驚くのも無理はない。
 それ程に彼女ら姉妹は瓜二つだったし、妹の年齢が私たちの記憶の中の姉とちょうど同じくらいであったのだから尚更だった。
「あの、おねえちゃんの知り合いのかたですか?」
「……あ! もしかして、唯ちゃんの妹さん?」
『で、あってる?』と彼女の目が言っていたので、視線で『合ってる合ってる超合ってる』と返してからそっぽを向く。
「水守茉千華といいます。姉が生前にはたいへんお世話になりました」
 その幼い容姿とは不相応に丁寧な対応に、芝川さんも慌てて車から降りると頭を下げた。
「ごめんなさいね。本当にお姉さんとそっくりだったから」
「はい。よく言われます」
 そう言ってニッコリと微笑んだ表情すらも生き写しのようだった。
「中原くん」
「へ?」
「なんで唯ちゃんの妹さんと一緒にいるの?」
 それは彼女が鋭かったのか、それとも誰もが抱くような単純な疑問なのか。
 まあたぶんほぼ間違いなく後者だろうが、いずれにせよ私が窮地に立たされたということに変わりはなかった。
「えっと。話すと長くなるんだけど――」
「私たちお付き合いしてるんです」
「え! あ……え? え……え! そうなの?」
「はい。かなたさんは私の恋人です」
 長いどころか秒で完結したそれは、本来もっとも大事であろう、そこに至った経緯を完膚なきまでにすっ飛ばしていた。

 彼女らはたった五分の立ち話で打ち解けると、すっかりと仲良しになってしまったようだった。
 それは好ましいことなのだろうが、今は私の心臓がどうかなってしまうその前に、なんとかして二人を引き離す必要があった。
「そういえば芝川さん、時間は大丈夫なの?」
「あ、そうだった! それじゃ茉千華ちゃんまた今度、ね?」
 最後の『ね?』の部分ががすごく意味深に聞こえたが、そのやり取りの蚊帳の外にいた私には何ひとつできることなどない。
「はい。またおねえちゃんのおはなし聞かせてください」
 少女はそう言うと再び深く頭を下げてから助手席に乗り込んでいった。
 私もそれに続いて運転席に戻ろうとしたのだが、背後からした「あ、ちょっと待って」という、妙に凄みのある声にゆっくりと振り返る。
「呼んだ?」
「中原くん、ウラジーミル・ナボコフって知ってる?」
「え? 裏地見る?」
「……ごめん、なんでもない。茉千華ちゃんとお幸せにね! それと今日、ふたりに会えてよかった! 叶多くんもまた、今度ね!」

 最後の最後に私のことを『叶多くん』と名前で呼んだ彼女は、回れ右をすると駆け足でスーパーの中へと消えていった。
 生きた心地の乏しかった十数分間ではあったが、私としても今日ここで彼女と会うことができてよかったと思えた。
 次に会ったその時には、旧友の妹とこうなった経緯をしっかりと話そう。
 心の底からそう思いながら車のドアを開けると、すでにシートベルトを締めて待機していた少女に声を掛ける。
「おまたせロリータ」
「え?」
「それでは出発しまーす」
「あ、はい!」



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