自殺を考えるあなたへ〜vol.Ⅰ
最近、いのちの電話がつながらなくなっているというニュースを見て、記事にしてみよう、ってことで。
とは言え、私みたいなのに能書きを垂れる資格なんかないのは百も承知。でも、何かできないか、と思うのには理由がありまして。
人間生まれた時から死と向き合って生きていかなければならないのに、あまりにもそこから目を背ける世界が彩られているよね。身近で大切な人を失う経験なんかをしてきた人でさえ、命とはなんなのかをきちんと感じられなくなっている世界。
私は戦争とか災害が起こる理由はそこにあるような気がしてならない。結局、広島長崎の原爆だって、いのちがなんなのかわからない人にしか起こせない。それから福島をはじめ、日本中にある原発のずさんな管理体制も、幼稚園児が考えたってもっとましなのではないかしら?
人間に必要な「教育」とはもしかすると、自分の存在と向き合うことの重要性を教えることなのではないかしら??
もし今、あなたが自殺を考えているとするなら、それは自分が置かれている環境から逃げたいとか苦しいとか、そんなことではなくて、
きっと、自分のいのちと向き合おうとするけどやり方がわからなくて、もがいているからなのではないかしら?
いのちと向き合うということは、宇宙一難しい難題だと私は思うのね。そこと常に向き合って生きてきた私は、趣味も特技も何もない人間かもしれない(笑)
だけど有り難いことに、住む家も、食べるものもあるし、大切に思ってくれる人たちもいる。それが、自分が望んでいるものとはかけ離れているとしても、有り難いなと思う。
だけど、いのちと向き合うことや、自分と向き合うことから逃げること、見て見ぬ振りすること、そこを無視していることは、死んでいることと同じなんじゃないかな。だから自殺に駆られてしまう。
もし自殺したいと考えたとき、自分はヒトラーとか原爆落とした人とかと同じ部類でいいのかどうかをまず考えてみようよ。
なんで同じになるのかって?
それ説明しないと分からないなら、本当に今まで自分と向き合わないで生きてきたんだね。頭がいいとか悪いとかじゃ全然なくてね。もしあなたが少しでも自分と向き合うことにチャレンジしてきた人間なら、すぐわかるよね、こんな初歩。
説明が必要な人だけ読んでもらえたらいい。わかる人はスルーしてくださいな。
簡単な話。自分の命は、自分のものではないということがわかるかわからないかってことだよね。自分の力で生きているように感じてしまうのは、世の中のやり方のせいなんだけど、実際たべものもくうきも、自分の力で生み出すことは出来ないでしょう?科学的に作成することは可能かもしれない。だけど発生するのは、この宇宙が存在しているからであって、つまりその中で生かされているんだってことをきちんと噛み締めていくと、自分の命は自分のものでないということがわかるよね。
ということは、自殺することは他殺と同じなんだよ。もっと言うと、命そのものがわからない人間ということ。
世の中には「自分なんかいないほうがいい」なんて呟いて自殺する人もいるけど、他人に向かってもそう感じるんじゃないかな?実は。いやいや他人に向かって思わないよって言うかもしれないけど、他人に思わない人は自分にも思わないんだよね、実際。
結局、他人に思うが故に自分にも思うんだよね。比較対象の範囲で認識するしかないからね。
まあ、もう死にたいと思うくらいだからヒトラーや原爆を落とすような人と同じ部類で構わないと感じているかもしれないよね。それはそれで自分はそうだ、と認識してしまったわけだから仕方ないと思う。つまり刑務所に入って死刑になってもおかしくはないというわけね。
ところでいつから自殺を考えるようになったかってなんとなく覚えていたりするのかな。たぶんきっかけなんてなくて、ずっとなんとなく頭に燻っていたりするんじゃないかな。その燻りが、あっという間に燃え広がるようにね。
つづきます^ ^
もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)