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涙のケーキ

千葉の習志野というところに
「ル・パティシエ ヨコヤマ」という洋菓子店があります。

有名ホテルのパティシエを経て、テレビチャンピオンで三連覇を制した経歴もある洋菓子店です。

最近こちらの地域近くをウロウロするようになりまして、先日初めて訪問したところでした。

今回は遠出する予定もあり、常温菓子のみの購入でしたが…
正直言って今まで食べたなかで一番!と言って良いぐらいですね。そうやって私が言うと、陳腐に聞こえるかもしれませんが、、、

ケーキ一個あたりの単価は安いとはいえませんが高くは無い金額ですので、庶民的なお店です。
とはいえ、その近郊の購買層からすると贅沢品かなという、下げすぎない設定金額。
その辺りも含めて都内の一等地ではなく、千葉でお店を構えているあたりからして、素材の良さも窺えます。

都内含め、名古屋、神戸、横浜、あとは博多なんかもそうでしょうか。
そうした土地で煌びやかに並ぶケーキ達を目の当たりにして、つい購入してしまった経験がある私としては、
そうした「立地」で、私の「購入範囲」で購入するモノにかけられている「コスト」を考えるようになってからというもの、
正直ケーキはなかなか手が出ないモノになってしまっていました。

なので、このお店の心意気に引き込まれてしまったわけでした。

自宅に帰ってきてからホームページを見ていると、ホールのショートケーキに目が止まりました。
一般的な、上にいちごが一つ乗ったものではなくいちごが沢山乗ったケーキです。

私はそのケーキに見覚えがあり、思わず店主の横山さんの経歴を調べてしまいました。
2001年より開業とありますが、私がそのケーキを見た覚えがあるのはもう30年以上も前。
なので、そのケーキとは違っていたようです。

もしかすると横山さんのお師匠さんが作られていたとか?そんな想いも過ります。

ずっとずっと忘れていましたが、密かに胸のなかに残っていた想い出を思い出させてくれました。
私が、父親に誕生日を祝ってもらった最後のケーキです。

当時私は7歳でした。今から35年前です。
その当時、今のような生クリームだけで作っているようなケーキはあまりなくすこしくどめの生クリームが一般的で、私はそれが苦手だったのです。
そしてバタークリームのケーキなんかもありましたが、そちらはもっと苦手でしたね。。

だけど私はいちごが大好きだったので、イチゴのチョコクリームがあれば良いと思うほどでした。

そんな私の事をきっと考えて
当時、父親はあえて生クリームが少ないこのケーキを探し出してくれたのだと
今更ながら気付いたのです。

そして私は思い出しました。

当時一般的だったいちごが上に一つだけ乗ったケーキを楽しみに待っていた私。
父親がそのケーキを買ってきてくれ、それを見たときに私は

「私が食べたかったのと違う」
そう言ったのを、はっきりと思い出したのでした。

母親はそんな事を言ったらダメよと宥め、父親に対して思い切り配慮しながら、私にそのケーキを食べるよう促したのです。
そして父親はケーキと私をそのままにして
どこかへ行ってしまいました。

私は不満を抱えながらも一口食べ、そしてそのケーキの想像以上の美味しさに驚いてしまいました。

でも、プライドが高すぎる私はそのケーキが
父親が買ってきてくれる最後のケーキだと
想像もできないまま
捻くれた言葉しか出てこなかったのです。

私は捻くれた子供でした。そして父親はそんな私の事を疎ましく思っていたのかもしれません。
その年、父親はいつの間にか家に帰らなくなりました。

私は父親が帰らないことを不思議に思いつつも、それを母親に聞くような勇気も素直さもなかったので、
父親から時折手紙が届くうちは、いつか帰ってきてくれるのだと信じていたのです。

父親がいなくなってから母が私の誕生日を祝ってくれていましたが、いつも私に気を遣っているような感じがあり、母親との間に大きな溝ができていました。

ヨコヤマのショートケーキの形はその思い出のケーキとそっくりで、本当に驚きました。

のちに父親は別の人と結婚して、子供も2人いる事がわかりました。
なぜから私の戸籍はずっと父のほうにあったからでした。
あれから35年。私は父親に一度も逢えていません。

一度だけ、10年くらい前に私から連絡したことがありますが
私に会うつもりもないし、一切連絡もしないと言われただけで終わりました。

父親が買ってきてくれたケーキと同じか、上回るケーキにいまだに私は出会っていません。
ヨコヤマのケーキが、そうであると良いなと期待しつつ。



もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)