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#ネタバレ 映画 「マネーボール」

「マネーボール 」
選手がプログラム言語となった日
2011-12-16 18:00byさくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

違和感・・・それが映画「マネーボール」を観ての素直な感想でした。その違和感の正体を探ろうとして思い出したのが映画「大脱走」です。(このあと映画「大脱走」のネタバレにも触れます。)

映画「大脱走」はあまりにも有名な名作ですが、あれは米国人の大好きなベースボールのスピリット(魂)を描いていたのだと思います。ベースボールは誰もが平等に打撃のチャンスを与えられるので、「平等」好きな米国人の琴線に触れるスポーツであり、だからサッカーよりも人気があるのだと、どこかで読んだことがありますから。

映画「大脱走」では脱走の名人であるヒルツも自分ひとりだけ脱走するのではなく、全員が脱走することに協力します。さらに途中で目が見えなくなってしまった戦友までもが、収容所から脱走できるのです。

脱走トンネルはバッター・ボックスを意味するのでしょう。そこまでは平等にチャンスをもらえます。あとは各自の運と実力しだい。もちろん捕まる人もいました。でも観終わってからは、不思議と美しいものを見た爽快感と感動がありました。戦争映画だからといって、いつも映画が戦争を描くとはかぎりません。

この映画「大脱走」を基準点として映画「マネーボール」観るとき・・・これが私の感じた違和感の正体ですが、それは選手が、ある意味コンピューター・プログラム言語と化していたことです。

ひとり、ひとりが、のびのびとプレイするのではなく、1.攻めるな!、2.振るな!、3.リスクを冒すな!、という具合に、古典的、正統的なプレイではなく、斬新な規制をかけられ、プログラムどおりに動くことが要求されるのです。これは脱走トンネルの出口に着いても、脱走しないで引き返せ、と言われる様なものです。

さすがに映画「ソーシャル・ネットワーク」の製作陣が手がけただけのことはありました。静かなる問題提起の作品です。そう言えば、映画「マネーボール」のチラシに、球場でビリーが見返り美人の様に振り返って微笑む写真がありましたが、満員の観客とともに、背景の青空にうっすらと浮かんだ文字(ビリーの頭の中の意味だと思います。)は数式と統計データでした。彼はプレイを見ないのが信条らしいですが、これらが異端を端的に語っていました。

古きよき時代、という手垢のついた言葉の世界が、とても懐かしく感じられる問題作でした。

★★★★



(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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