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#ネタバレ 映画「さよならドビュッシー」

「さよならドビュッシー」
2013年作品
陰と陽の世界観
2013/2/22 13:46 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

気功法に三円式站とう法(さんえんしきたんとうほう)というものがあります。外気から良い気を集める伝統的な気功法で、乗馬している人の形、に似た技と言えば、だいたいイメージしていただけると思います。

そのスタイル通り、もともとは武術の乗馬からきたもので、のちに気功法として独立したものです。でも、あの乗馬スタイルは、意外な事に、ピアノを弾いている人の形、にも似ています。

ピアニストの洋介はピアノの調律師でもありました。ならば洋介の白シャツは気功師の白衣の記号でもあったのでしょうか。洋介は遥(内面はルシア)がピアノを弾けなくなったとき(指が動かなくなった時)に、遥の手を自分の両手で包み、魔法をかけて治癒しました。あれは気功の「手当て」でしょう。

ショパンは「手首で呼吸する」と言ったとか。現在の普通の理解では、これは演奏テクニックの上の比喩で、実際は腹式呼吸でしょう。

でも興味深い事に気づきました。気功でも腹式呼吸をします。さらに、こちらは本当に手のひらでも呼吸するのです。気功師は「気」の出し入れをするときに、手のひらのほほ中央にある労宮というツボからも皮膚呼吸するのです。気功師でなくとも、手のひらに神経を集中して腹式呼吸をすると、呼吸に合わせて労宮がペコペコと振動、あるいは掃除機のごとく吸引している事が実感できる場合もあります。これなどショパンの話と似てますね。

この映画は、陰と陽、内面と外面、不幸な者と幸福な者、警察と医療、練習と桧舞台、死者と生者、月と太陽、東洋医学と西洋医学・・・そんな二面構造を語っていたのかもしれません。

瀕死の重傷を負ったルシアの外面を、主治医は西洋医学でドライに治療します。さらに調律師(気功師)は気功を使いながらルシアの内面をウエットに癒やすのです。

でも、気功治療の、癒やされるか否かは、ある意味本人しだいの面もあり、本人が癒える事を拒絶していれば、(気の合わぬ者同士になるのか、気功師の気が入らないようで)効かないらしいのです。気は「意念」で動くので理解できます。そこまでも映画では描かれていましたね。

主治医の外科治療は、遥とルシアを間違えてしまいましたので、完全なる成功とは言えませんが、外科治療がなくては、たぶん生き延びるのは困難でした。さらに調理師の癒やしがなければ彼女は立ち直る事ができませんでした。つまり両方必要なのですね。

★★★★

追記 ( “思いこみ”の力 ) 
2016/3/20 9:45 by さくらんぼ

先日放送されたTVの2時間ドラマ「さよならドビュッシー」も観てみました。「気功」の要素はカットされていましたが、TV版もなかなか良くできていましたよ。

この物語もいろんな角度から鑑賞できますが、楽器の練習という観点からも、勉強になりました。

映画には二人の少女が出てきます。一人はピアノの天才・遥。もう一人は従姉妹・ルシアです。ある日、火事で遥は死んでしまいます。ルシアは全身に大やけどを負って手術を受けます。

でも当局が死んだのはルシアだと誤認したため、ルシアの顔を遥に似せて整形してしまったのです。

以後、好きだけれどピアノを弾けないルシアが、ピアノの天才・遥として生きていくことになります。ここにもある“思いこみ”。

でも遥は、ピアノの個人レッスンを受け、コツを教えてもらったり、癖を矯正してもらったり、もちろん血のにじむような努力をして…そうやってほんとうに短期間で上手くなって行くのでした。

劇中、さらに先生が言います。

「ただ譜面通りに弾いただけの音楽と、芸術的な演奏とは違う」みたいな話を。ピアニストに技術があるのは当たり前。芸術的な演奏ができないと一流ピアニストにはなれないのです。

いろいろと、示唆に富んだストーリーでした。

追記Ⅱ ( 映画「砂の器」 ) 
2016/3/20 14:00 by さくらんぼ

TVドラマを観て、今さらながら気づいたのだけれど、「さよならドビュッシー」という言葉は、きっとラストにルシア(顔は遥)の胸中に浮かんだ言葉ですね。逮捕されるのだから。

そうするとこのドラマ、オマージュとまでは言わないけれど、どこか映画「砂の器」にインスパイアされているような気がします。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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