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#ネタバレ 映画 「小川の辺」

「小川の辺 」
恥の文化にある袋小路
2011-07-25 10:53byさくらんぼ


( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

日本には「恥の文化」があるとか申します。

映画「小川の辺」では、主な登場人物たちが刀を抜き、あるいは抜くのをためらいますが、共通してその根底に有るものは、同じ恥の文化だった様です。

ためらった者の例を挙げると、まず、仇討ち騒ぎの仇役の男ですね。竹光なので抜いたら笑いものになってしまうからです。主題を補完する目的で挿入されたエピソードでしょうから、いたってシンプルです。

それから写真にも登場している新蔵です。写真になる位ですから、こちらは、もう少し複雑です。新蔵が刀に手をかけているシーンでは、あそこで刀を抜いてしまったら恩知らずになってしまうのです。だから抜けない。が、不倫の恋であろうとも、恋しい人が斬られるのを黙って見れいるわけにも行かない。その一線をどう始末するのか、ギリギリの葛藤があったと思います。朔之助との江戸へ100里の旅は、新蔵にとっても胃の痛くなるような葛藤の日々だったことでしょう。

映画「小川の辺」では、そんな恥の文化の中で、私情との折り合いをつけながら生きていく日本人を描いていました。能の様な日本人の行動です。映画も表面的にはサラリと流されてしまいがちなので、内面の葛藤を十分に表現するには、シナリオそして演技とも、大変、高度なものを要求されるのだと思います。が、残念ながら、その完成度は十分ではなかったように感じました。

そして、社会のモラルと、家庭のモラルは、本来、別々であるべきでは無いでしょうか。社会と同レベルの厳しさで、家族を斬り捨ててはいけないと思います。それでは袋小路になってしまう。それが現代の主流な考え方でしょう。映画もようやくラストになってそこにたどり着きました。不倫の恋を容認して去っていく朔之助の姿に、これが正解なのだと胸をなでおろしたのでした。

★★★


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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