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#ネタバレ 映画「孤高のメス」

「孤高のメス」
孤高のメス - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画
2010年作品
移植できるのは臓器だけではない
2010/7/10 21:23 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

あれはフランス映画だったでしょうか。タイトルは忘れましたが、主題を「相続できるのは金品だけではない」と解釈した映画がありました。金品だけでなく、想い出も価値ある相続品となりえるのです。

ならば「孤高のメス」は「移植できるのは臓器だけではない」とでもしましょうか。臓器だけでなく、想いも移植できる事があるのです。

日本人なら誰でも知っている「忠臣蔵」などは、その代表的なドラマでしょうね。

さて、この映画「孤高のメス」では、ラストに、母の想いを移植された息子が彼の元へ弟子入りするシーンがありました。とても感動的。また、あそこで彼の顔を出さずに終わるセンスがクールです。

そして静かに描かれた3人の女性の恋物語。

なかでも、涙をこらえる母がいて…見上げれば想い出の品がある…。ふと、名作映画「さびしんぼう」を思い出しました。この映画は宣伝も控えめでした。

その為に、こんな感動作は観逃してはなりません。

タイトル映画「孤高のメス」は、まさか「孤高の女」に、かけてあったりすることは無いと思いますが、3人の女の恋に対する粋なふるまいを観ると、「孤高の女」でも良かった気がしてくるのでした。

★★★★☆

追記 ( 映画「ジェネラルルージュの凱旋」
2010/7/14 22:09 by さくらんぼ

>さて、この映画「孤高のメス」では、ラストに、母の想いを移植された息子が彼の元へ弟子入りするシーンがありました。

この母は、自らも看護師でありながら、病院をたらい回しにされたあげくに亡くなりました。息子に母の想いが移植されたとしたら…たらい回しは絶対にしない医師になり…映画「ジェネラルルージュの凱旋」になる?

そういえば映画「ジェネラルルージュの凱旋」では、主人公の医師がたらい回しをしない理由は、あまり説明されていなかったような気もします。それならばと、二本の映画をくっつけてしまいたくなりました。未観の方は、ぜひ、つづけてご覧ください。

追記Ⅱ ( 日記にも書けぬ話 ) 
2011/9/23 13:54 by さくらんぼ

>そして静かに描かれた3人の女性の恋物語。

主人公の当麻医師は子供のころ病気で母を亡くしました。このとき彼が学んだことは、医者にも優劣があることと、愛するものには別れが付きものだという事です。

そして、このときの彼の心象風景に相応しい記号が、別れ歌である「アンコ椿は恋の花」でありました。手術中にそれを聴く彼は、邪念を払拭して、患者を助けることだけに全身全霊を傾けていたのでしょう。まさに聖なる歌だったのです。

でも、愛するものと別れたトラウマからは立ち直れなかったようです。青春時代に入った彼も、人なみに恋人を求める活動に勤しんだ事でしょう。そして失恋もした。歌謡曲にもあるように「恋人に振られるのは良くある話」なのですが、トラウマがある彼の心は「やっぱりだめだ」と悲鳴をあげ、ぶ厚い防水ハッチをきつく閉め、深海へ潜行したのかもしれません。以後、お見合い話や、恋の気配を感じると、気づかぬ振りをして、すぐに潜行するクセになってしまったようです。

しかし、そんな彼でも人恋しさからは逃れられません。彼はときどき潜望鏡から辺りを見渡していました。

そのとき彼が見つけたのが当麻に熱い視線を送る看護婦の浪子でした。そして当麻も浪子のことを密かに好きだった可能性があります。当麻に限っては表面だけでは恋は語れないのです。

恋する者は相手の一挙手一投足を監視するものです。そして女の感は鋭い。やがて浪子も、当麻が浪子を好いていることに気づいてしまった。だから、映画の終盤で「涙目での浪子の修羅場」があるのだと思います。「あんたも私のこと好きと違うの?なんで、このまま行っちゃうの!」と浪子は心で叫んでいたのです。「先生はうそつき」の言葉の奥には、もしかしたら、そんな二重の意味が隠されていたのかもしれません。

映画でも直接は語られず、日記にも書かれず、ただ浪子の爆発しそうな涙目の沈黙でしか語られなかった本当の恋の顛末。そんなものが、あったのかもしれないと、昨日すこし夢を見たのでした。

追記Ⅲ ( ラブレター大作戦 ) 
2011/9/25 10:08 by さくらんぼ

>恋する者は相手の一挙手一投足を監視するものです。そして女の感は鋭い

ある方から、こんな話を聞きました。昔、会社の前で、労働組合の人が、出勤してくる社員たちにビラを配っていました。皆が朝の挨拶をしながら機械的に配り、機械的に受け取り、会社に入るのです。

そんな無機的な、あわただしい朝の雰囲気のなか、ある若い娘が、一枚のビラに全身全霊の心を込めて、出勤してきた片思いの男性に渡したのです。男性はその娘を知りませんでしたが、想いは、無言、無文のなか瞬時に伝わりました。

たとえ一枚の組合チラシでも、心を込めて渡すことでラブレターになるのです。

ところで、この映画の浪子は手術の道具を当麻に渡す仕事をしています。そして当麻を好きになってからは、その渡し方を毎日の様に勉強し改善していました。そして全身全霊の心を込めて、手術のたびに、何十回も渡し続けたのです。

一枚の組合チラシがラブレターになるのですから、あの多数の手術道具がラブレターにならないわけがありません。当麻が「浪子に好かれていることなど何も知らなかった」と弁解しても、その弁解は浪子には通じないでしょう。これでは「先生はうそつき」と言われても仕方がありません。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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