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#ネタバレ 映画「ゼロの焦点〈2009年〉」

「ゼロの焦点〈2009年〉」
2009年作品
ひとり勝ちはいけない
2009/11/16 22:09 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

( 映画「スペル」と映画「ATOM」にもふれています。 )

映画「スペル」で、ガーナッシュ夫人からクリスティンへかけられた呪いの正体は、クリスティンの自責の念でした。融資をしようと思えば出来たのに、しなかったからです。その直後にガーナッシュ夫人が死んだので、許しを請うことも、再審査することもできなくなり、大変苦しんだのです。

先日なにげなく週刊誌を見ていたら、監督の解説を見つけました。たしか監督も、クリスティンは後悔していた、と語っていたので、この解釈は、当たらずとも遠からず、と言ったところでしょう。

「ゼロの焦点」の話しに入ります。

映画の終り、選挙事務所で演説中の、夫を殺した佐知子に向かって、禎子がパンパン時代の源氏名を叫びました。

その直後から、心の崩壊を始める佐知子。あの源氏名は、さながら映画「スペル」も青ざめるほどの呪文でした。あの言葉で佐知子は無理やり記憶の底に隠蔽しようとしていた久子の記憶を思い出してしまったのです。

呪いをかけられてから数日後、佐知子は日本海の沖、小船で死んで、漂流しているのが発見されました。

佐知子は久子を自殺に追いやり、久子の胎児まで殺してしまった自責の念から逃れられず、ひとりボートで海へ出て、久子に謝罪しに行ったのでしょう。そして凍死した。

とは、夫の仇を呪い殺した妻の物語だったのだと思います。映画「スペル」よりも恐ろしいかもしれない。

ところで、映画「ゼロの焦点」の主題はなんでしょうか。私は「自分だけ幸せになってはいけない」だと思いました。憲一も戦争で生き残ったことに自責の念がありました。ラストの、禎子の母の「お茶が入りましたよ」も、お茶のひと時を二人で楽しみましょうという意味です。ひとりで飲むより美味しいはずですね。

この意味は現代にも生きています。意訳すれば「ひとり勝ちはいけない」とでも、なるのでしょうか。驚くことに映画「ATOM」の主題とも重なります。やはり、今映画化する意味があるのでしょう。

選挙のシーンがでてきました。みんなで幸せの分配をするには政治の責任は大きいようです。禎子の天才的な推理力は宇宙人なみで信じられませんが、それ以外は気にいりました。とくに、あの呪いには、最終兵器の称号をあたえます。

★★★★

追記 
2009/11/19 11:14 by さくらんぼ

>佐知子は・・・ひとりボートで海へ出て、久子に謝罪しに行ったのでしょう。そして凍死した。

映画の中に歌詞が出てきました。海原に突き出ている岩は墓標だ、というような歌詞でした。久子が海に謝罪に行ったのは、ある意味、墓参りと同じなのでしょう。この歌詞は佐知子の死の伏線でしたね。

>この意味は現代にも生きています。・・・やはり、今映画化する意味があるのでしょう。

歌詞はもう一つ出てきました。パンパン時代の久子と佐知子が警察に追われて学校の校舎に逃げ込んだシーンです。黒板に書かれた歌詞を見て歌うシーンですね。「この道はいつか来た道・・・」。私はドキッとしました。この映画が過去の物語ではなく、現代へ警鐘を鳴らしていると思ったからです。特に近年は援助交際やバブル崩壊など、性と経済の混乱が目立ちます。映画は現代を戦後の混乱と重ねているのかもしれません。

3人の男が出てきます。佐知子の弟は姉を母代わりに育ちました。母の人生は子を中心として回ります。すると佐知子は弟を立派に育てる為にパンパンをし、さらに、あの実業家と結婚したのも、愛ではなく、弟を育てる為の、金目当てだった可能性があります。

実業家は佐知子を愛していた。どこか似たもの同士の匂いを感じていた。実業家はあくどい商売で財を成したことがセリフにもありましが、これは実業家本人も自覚していたのでしょう。本当は心も痛んだのかもしれない。でも、忘れた振り(殺人をした佐知子と同じ)をして生きてきた。被害者はいつも他人だったから、それでよかった。

でも、気がつくと、他人だけではなく。最愛の佐知子まで病んでしまった。実業家は佐知子の狂気の犯行を、自分のあくどい人生からの因果応報だと受けとめたのかもしれません。だから、重すぎる自責の念が生まれ(殺人をした佐知子と同じ)佐知子たちや、世間への贖罪の意味で自殺した。

弟とはどうなったでしょうか。子供にとっては殺人犯でも母は母なのですから、それも、自分を育てる為にしたことなので、哀しき女神として、絵を彼の店に飾り続けるのでしょう。

もう一人の男、憲一は、ふとした情けをかけたことで、パンパンの久子と恋人になった。でも、男の出世欲は捨てていなかった。「激戦でも生き延びた俺だ、強運がある。俺には生きる意味があるはずだ。このままパンパンと心中する様な余生で良いはずが無い」などと思ったのかも知れません。

あの当時のモラルでは、妻が元・パンパンでは夫も肩身が狭かったでしょう。出世すればするほど、それは問題になる。出世を取るか久子を取るか、二人の為にも早めの決断をした方が良かった。そして出世を選んだのでしょう。

私も禎子の真似をして推理ゲームを楽しんでしまいました。

追記Ⅱ 
2009/11/20 21:23 by さくらんぼ

>佐知子は・・・久子の胎児まで殺してしまった自責の念から逃れられず・・・久子に謝罪しに行ったのでしょう・・・。

佐知子も母親代わりとなり、パンパンをやって弟を育ててきたのに、同じように子供を育てようとしている、子供を通して人生に喜びを見い出しかけているパンパン仲間の久子を、親子とも殺してしまった事に気がついたときの気持ちは、想像するだけでも痛いものです。

あのときの佐知子には、不幸にも、死んでゆく久子の無念が、我がことのように理解できたために、耐えられなくなり壊れてしまったのだと思います。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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