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#ネタバレ 映画「脳内ポイズンベリー」

「脳内ポイズンベリー」
2015年作品
どちらか一方は息ができない
2016/6/15 6:22 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

これは本来、追記にでも書くべきことですが、先に思いついたので書き留めておきます。

「生まれたときから親に否定され、親と不仲で育った子ども」の中には、「良好な人間関係の何たるかを未体験の人たち」がいます。いわゆる「愛を知らない人たち」もそうです。

彼らはの中には、育った環境と似た「対人関係の不協和音」を、無意識に「自然な世界・なじんだ居心地の良い世界」と感じ、大人になってからも再現する人たちがいるのです。鮭が同じ匂いのする川に戻ってくるように。逆に「良好な対人関係」を、「虚飾の世界・どこか居心地の悪い世界」と感じ、壊すことがあるのです。

30歳の携帯小説家・櫻井いちこが惚れた、7つ年下の彼・早乙女は、まさにそれでした。

アーティスト・早乙女の作風は、どうやら、その人生観が滲み出た「不協和音」らしいからです。彼は「蝶のごとくチューリップにとまった、エンゼルフィッシュみたいな熱帯魚」のオブジェを作り、櫻井いちこにプレゼントして、「どちらか一方は息ができない」と解説しています。

つまり「最後には理解しあえることを目指す」小説家の櫻井いちことはベクトルの方向が真逆であり、お互いが「努力するほど離れていく関係」なのでした。

★★★★

追記 ( 文章のオブジェ ) 
2016/6/15 6:42 by さくらんぼ

ちなみに私の映画レビューの追記には、「一見映画とは関係のなさそうな話が書かれている」ことがありますが、もちろん「何かしらの関係性がある文章を追記」しているつもりです。

その関係性の多くは「順方向」ですが、ごく一部には「逆方向」のものがあり、私は「逆方向」のものに、よりブラックな面白さを感じているのです。「チューリップに熱帯魚の蝶」みたいな。

つまり私が求めるものと、早乙女の作風は、どこか似ている、のかもしれません。私の追記は「文章のオブジェ」だったのかも。

追記Ⅱ ( 多数決では漏れるものがある ) 
2016/6/15 9:24 by さくらんぼ

早乙女は「相手かまわず、自分に正直」に生きています。対して櫻井いちこは、「相手との関係性を第一に考え、自分を殺して」生きています。

社会生活では「相手との関係性」を考えることが必要ですが、あまり自分を殺しすぎては誰の人生を生きているのか分からなくなります。そのバランス感覚が大切。だから本文の冒頭にも挙げた、子育てでも「親は子の個性を否定してはいけない」のです。

櫻井いちこは、早乙女と別れ、自分を殺さなくても良い関係が築ける相手を探すことにしました。それで、正解ですね。

これは恋愛映画ですが、脳内会議の白熱の議論が面白い事からも分かるように、議論の映画なのでしょう。「多数決では漏れるものがある」との。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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