見出し画像

#ネタバレ 映画「ミス・シェパードをお手本に」

「ミス・シェパードをお手本に」
2015年作品
一緒に泣いてくれる人
2016/12/23 9:47 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

告解室で司祭や神に許されても、それだけは癒されない心の傷もあるのではないでしょうか。

人間には「許し」ではなく、「人間だもの、そんな事もあるわよねぇ~と、まるごと全部理解してほしい話」もあるのです。風呂に入らない主人公のミス・シェパードが、満たされないので何度も告解室を訪れ、司祭に「また来たか」と思われていたシーンがありました。

そんなミス・シェパードを癒すことができたのが、劇作家ベネットでした。神の使いではなく、「人間の業を見つめる」作家として、彼は彼女に対峙したのです。

人は長く生きれば、誰でもいろんなことがあります。神に許してほしいこともあるでしょう。そうしなければ再出発できない人も。でも「私はこんなに苦労したのよ!」という気持ちを、世界にたった一人でも良いから、批判・批評することなく理解して、「一緒に泣いてくれる人」がいることも必要なのだと思います。

とてもハードルが高い話かもしれませんが、年老いた親の介護とは、看取りとは、単に身の回りの世話をすることだけではなく、ほんとうは「最後の理解者」になってあげる事だったのかもしれません。

★★★★★

追記Ⅱ ( 韓流ドラマ「天国の階段」 ) 
2016/12/23 14:28 by さくらんぼ

韓流ドラマ「天国の階段」には、ショパンのピアノ協奏曲1番.第2楽章「ロマンス」が効果的に使われていました。

あの感動の名曲が、この映画「ミス・シェパードをお手本に」にも、ヒロインが弾く曲として使われています。私はあの旋律を聴くだけで涙腺がゆるんで仕方ありません。

ヒロインが若き日、キリスト教修行のために、この美しい曲を弾くことが禁止されました。でも私たちは「美しすぎる」この曲を禁止するような規則は、少なくとも愛の宗教には誤りだと、直感で感じとることが出来ます。「音楽に宿る美」とは何と凄いものなのでしょう。

追記Ⅲ ( 黄色 ) 
2016/12/23 16:41 by さくらんぼ

この映画も重層構造になっているようです。

映画のチラシを見ると「黄色い車」が写っていますが、これは彼女がペンキで塗ったものです。そして良く見ると、彼女がコートの下に着ているチョッキの様なものも黄色なのです。

この重要カラー「黄色」は何を意味しているのでしょうか。彼女は若いころ天才ピアニストであり、ポーランドのショパンが得意、そしてキリスト教のシスターでもありました。

「キリスト教」「黄色」「ユダヤ人」「ナチス」「ポーランド」。私は不勉強なので細かくは語れませんが、行間から立ち上ってくる「邪気」のようなものを、なんとなく感じ取れるはずです。それが深層にある物語の断章なのではないでしょうか。

あえて言うなら…たとえば韓国映画の多くには「葛藤」が描かれています。それは北朝鮮と韓国という同一民族による対立が日常にあるからでしょう。それが基調低音のような「葛藤の物語」を生んでいるのだと思います。

似たものをヨーロッパに探せば、キリスト教やナチスからの「迫害の歴史」になるのかもしれません。映画「ミス・シェパードをお手本に」には、ざっくり言うと、そんな「迫害の物語」が深層を流れているのでしょう。

追記Ⅳ ( 「天国の階段」へのオマージュなのか ) 
2016/12/23 17:06 by さくらんぼ

この映画「ミス・シェパードをお手本に」は、はたして韓流ドラマ「天国の階段」へのオマージュなのでしょうか。最初は「さすがに、そんなことは…」と思っていました。今でも断定する勇気はありません。

でも「天国の階段」には(連続ドラマなので詳細は忘れてしまいましたが)、①お金持ちと、貧しい青年との、三角関係の物語、②一人が看板書、③屋根裏部屋で「わかめスープ」を飲む、④海辺の家でピアノを弾く、⑤たしか交通事故で記憶喪失、などの話がありましたが、

それが「映画「ミス・シェパードをお手本に」では、①神様と作家との三角関係の物語、②ペンキで自動車を塗る、③自動車の家に食べ物が差し入れされる、④海辺の家でピアノを聴く、⑤交通事故で運命が狂う、などの話がありました。

そして極めつけは、ラストでほんとうに天が割れて、巨大な神様が顔を見せ、ヒロインを希望どおり天に召されるのです。

私はあのラストシーンが、あまりにも「おおげさ」だと思いましたが、もし「天国の階段」へのオマージュだとしたら、ぜひとも、あのシーンが必要だったのではないでしょうか。

追記Ⅴ ( 「分裂の葛藤ではなく統合の安定を」 ) 
2016/12/24 9:44 by さくらんぼ

>あえて言うなら…たとえば韓国映画の多くには「葛藤」が描かれています。それは北朝鮮と韓国という同一民族による対立が日常にあるからでしょう。それが基調低音のような「葛藤の物語」を生んでいるのだと思います。(追記Ⅲより)

映画「永い言い訳」でも描かれている通り、作家というのは「職業」であり、必ずしも「人格」ではありません。だからこの映画でも、準主役である劇作家の内面が二人に分裂している様子がリアルに描かれています。

そして劇作家が遠くの施設に預けている老母は、植物人間のように静かですが、実は庭先に居候することになった「我がままミス・シェパード」が、事実上の老母の分身なのでしょう。

さらに主役ミス・シェパードの内面もピアニストとキリスト教のシスターに、神と劇作家の両方に、帰依するところが分裂しています。おもにこれは神のせいではなく、他の映画でも描かれている通り、人ではなく教義しか見ていないような教会関係者のせいですね。

この映画も最終的には「分裂の葛藤ではなく統合の安定」を目指しています。このあたりを見ると、ますます「葛藤」の世界である韓流ドラマ「天国の階段」に近づいてしまいます。

追記Ⅵ ( 「ユーロ離脱」の悲鳴 ) 
2016/12/24 9:56 by さくらんぼ

車椅子に乗ったミス・シェパードの背もたれには、さりげなく小さな「イギリス国旗」が掲げられています。教会から一人飛びだしてしまった彼女は「イギリスの記号」なのでしょう。

もしかしたら、この映画は「ユーロ離脱」の悲鳴をあげたイギリス国民の「分裂と葛藤の刻印」でもあったのかもしれません。

追記Ⅶ ( より困難な道 ) 
2016/12/25 10:19 by さくらんぼ

>ヒロインが若き日、キリスト教修行のために、この美しい曲を弾くことが禁止されました。でも私たちは「美しすぎる」この曲を禁止するような規則は、少なくとも愛の宗教には誤りだと、直感で感じとることが出来ます。「音楽に宿る美」とは何と凄いものなのでしょう。(追記Ⅱより)

ピアノが禁止されたのは「弾くことは、天才ピアニストの彼女には、キリスト教の修行より簡単だから」でした。それを知った司祭が「より困難なことに挑戦しないと堕落する」とピアノを禁じたのです。

たぶん、それを知った神が「こんな教会で修行してはダメだ」と、彼女に「自分が交通事故の加害者だ」と誤解させたのでしょう。

あの日彼女が自首することは簡単でした。しかし彼女は、たぶん教会への反発もあって「司祭の言う通り、より困難な道を選択した」のでしょう。つまり「逃亡者」になった。

だから、彼女が「親切にされてもお礼も言わない」のも、彼女が「より困難な道を選択している」から、なのかもしれません。つまり「彼女の本心の裏返し」なのです。ある意味「好き避け」みたいな。

ちなみに私は、何の因果か、冬は「温避け(ぬくざけ)」です。自宅で自分がコントロール可能なエアコンやストーブの温もりの中に居ると、「たるんどる!」と誰かに叱られそうで、だから、あまり暖房もつけず、さらに薄着もして、すこしガタガタ震えるような、そんな「さむざむ」とした世界の中にこそ、安堵を見つけられるのです。

追記Ⅷ ( 一休さん ) 
2016/12/25 13:43 by さくらんぼ

逃げだしてからも、ときどき教会へ告解に行き、最後にも昇天を望んだとおり、ミス・シェパードは完全にキリスト教と決別したわけではありませんでした。

こんな彼女の生き方は「権威に背を向けた、貧しくも自由奔放な宗教家」という意味で、一休さんをも思いだすものです。

追記Ⅸ ( 信仰とアーティスト魂 ) 
2016/12/26 9:38 by さくらんぼ

>さらに主役ミス・シェパードの内面もピアニストとキリスト教のシスターに、神と劇作家の両方に、帰依するところが分裂しています。おもにこれは神のせいではなく、他の映画でも描かれている通り、人ではなく教義しか見ていないような教会関係者のせいですね。(追記Ⅴより)

一芸を極めた人は何をやらせても一流になる、などとまでは言いませんが、少なくとも「本気で極める努力」だけはする人でしょう。そこが凡人との違いです。

ミス・シェパードは天才ピアニストでした。その彼女が神の名でピアノを奪われ、キリスト教の修行だけをするよう強要されたのです。そのとき一芸を極めていた彼女は、怒りを隠し味にして愚直すぎるほど修行にはげんだ可能性があります。

結果、彼女はすべての音楽を忌み嫌うようになりました。そして人格が分裂した劇作家に、上から目線の皮肉っぽい言葉を投げかけたりもしました。

私は少し訂正しなければなりません。劇作家は人格の使い分けをしていましたが、彼女は信仰とアーティスト魂に裏打ちされた強い理性で二股をしませんでした。

不思議なエピソードがありました。彼女は、家として使っているワゴン車の他に、船のように先のとがったオート三輪車を買ったのです。なぜ船みたいなクルマが出てくるのか、ずっと考えていましたが、あれは船ではなく「グランドピアノ」の記号だったのでしょう。

死期の迫った彼女が、ずっと心の奥に沈めていたピアノへの想いに、無意識に逢いに行った姿なのです。



(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?