あいさつ法
「おはようございま~す」
何時ものように宏之がオフィスに入ってゆくと
「おはようございます」
といつもなら「おはろ~」というオリジナルのゆるいあいさつで返してくる主任の小山内さんが真面目に挨拶を返してくる。
「どうしたんですか?」
「どうしたじゃないわよ。昨日説明があったでしょ、今日は朝からあいさつ監察官が来る日だって」
今年執行された(青少年挨拶健全法案)通称あいさつ法。
人間の健全な生活は挨拶からー、と声高に主張する議員から始まった挨拶運動が全国に浸透し大きな動きとなった。
結果として発案した議員が総理大臣になるまでになった。
挨拶は大事だと思うし、しないよりしたほうが良いに決まっている。が強要するものではないんじゃないかと宏之は思う。
現に運動当初は一般企業などでは受け入れられず、当時文部科学大臣だった議員への忖度なのか主に学校関係や行政機関で徹底的に行われたようだ。
執行された今も運動が盛んなのは行政関係で一般企業には浸透していない。
そこで運動を浸透させるべく生み出された機関があいさつ監督庁である。
企業へ査察を行い指導や注意勧告が行われるのだ。
宏之の勤務する会社は一般企業だが、建設業ということもあり行政からの受注も多い。
そういった企業は世間よりも運動を受け入れる傾向にあった。それで今日の査察である。
「語尾は伸ばさないでいただきたい!」
ヒステリックな大声がオフィスに響く。
指導されているのは若手社員の早織ちゃんだった。
「おはよ~ございます~」
確かに語尾が伸びている。でもわざとではない。早織ちゃんは元来のんびりとしていて挨拶以外もすべて語尾は伸びている。すべてに関してゆっくりでのんびりしている早織ちゃんは決して仕事ができないわけじゃない。丁寧で正確な仕事をするし、人間性に癒される人間も多い。
「相手の目を見てはっきりと大きな声で発声してこそのあいさつなのですよ!」
そういって査察官は執拗に早織ちゃんを締め上げている。
「お、おはよう、ござい…」
とうとう早織ちゃんが泣き出してしまった。
「泣いて挨拶する人間がどこにいますか!泣いて許されるのは小学生までです!」
ねちねちと説教する査察官に怯えて早織ちゃんはうつむいて涙を堪えている。
宏之はたまりかねて査察官に近づくと、その顔面にこぶしを叩き込んだ。
床に倒れこみ宏之を睨み上げる査察官に宏之は言った。
「あいさつ代わりだ!この野郎!」