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いまの日本に必要なのはマネジメント力ではなくリーダーシップ

リーダーシップは「始動力」

 4月は入学式や入社式のシーズンです。私はここ数年、この時期になると、各地でリーダーシップ研修の講師、リーダーシップ講演のスピーカーとして呼ばれることが多くなってきました。

 今年は客員教授にもなっている福井県立大学の入学式で、新入学生に向けてリーダーシップの講演をしてきました。神戸市でも新入職員全員向けにリーダーシップ研修を依頼されて実施してきました。こちらは3年連続の研修です。

 リーダーシップは日本語ではよく「指導力」と訳されます。したがって、もしかしたら、「なぜ大学の新入生や市役所の新規職員を対象にリーダーシップ研修が必要なのか」と不思議に思う人がいるかもしれません。リーダー=指導者と考えると、普通、この手の研修は大学生なら部活やゼミで上級生となってからで、社会人であれば部下を持つ立場になってから受けるものと思われています。

 実際、神戸市での研修の時、市職員になりたての人々に「市役所に入ったばかりなのに、リーダーシップ研修を受けることに違和感がある方」と尋ねたら、多くの人が手を上げました。

 実はそれは「リーダーシップ」という言葉の意味を誤解しているからです。私は日頃から「リーダーシップとは『指導力』ではなく、実は『始動力』だ」と言っています。翻訳がそもそも違うのです。

 その本質は、組織をまとめて引っ張っていく力ではなく、まっさきに自分から動いて新しいことに挑戦する力です。「始動力」ですから、新人だとかベテランだとか役職者だとか、あるいはそうじゃないかなどは関係ありません。どんな立場であってもある程度、時には激しく必要なのが始動力なのです。

 集団を率いるという意味で求められるのは、本来は「リーダーシップ」ではなく「マネジメント」。両者はどちらも「シドウリョク」かも知れませんが、本質的に全く違う概念なのです。

日本は「始動力」不足

 私にリーダーシップをテーマに講演や研修がいくつも舞い込んでくるのは、その組織のトップの人たちが、いまの日本に危機感を覚えていることの裏返しなのだと感じています。

 周囲の空気を読んで場を乱さず、掲げた共通の目標を、みんなで協調性をもちながら達成していこう、という行動様式を尊重しすぎてきた日本人は、順当にいい学校を卒業して良い会社に入り、マネジメントには長けていますが、創造性や独創性を抱きにくい人々になってしまいました。これが日本経済の苦境の原因にもなっていると私は思います。

 株価が上昇してきているので一見景気がいいような錯覚を覚えそうになりますが、去年、内閣府が公表した1人当たりGDPランキング(2022年、OECD加盟国)で日本はイタリアに抜かれ21位になりました。韓国がすぐ下に控えており、いつ追い抜かれても不思議ではない状況です。

 この原因は、一つには日本人が空気を読んで、突出することを避け、そこそこの成果を求めれば十分という発想に染まり過ぎた結果、かつてのソニーやホンダのような活力に満ちた独創的な企業が生まれなくなったからだと思うのです。

 皮肉なことに、そうした、社会の教育環境の「主流」とは別に、偏差値に追われずに、食の世界や、アニメその他の芸術の世界、あるいはスポーツとか美容の世界などに行った日本人たちは、クリエイティビティを発揮して世界的な競争力が高かったりします。

始動力の欠如に気づき始めた人々

 さて、話を“一般的な”世界の人たちの方に戻しましょう。このままで本当に良いのかという危機感がいま日本全体に急速に広がりつつあります。

 群馬県では職員育成や県民への働きかけにおいて、私の著書も引用する形で「始動人育成」のコンセプトを掲げるようになりましたし、県内中高生を対象にした「始動人Jr.キャンプ」という取り組みも始めています。また富山県では、私が座長になって人材育成の新しい方針を作成しましたが、そのキャッチフレーズは、「職員一人ひとりが自ら考えて“始動”する富山県へ」となりました。知事肝いりでつけられたフレーズです。冒頭の神戸市の研修は、「リーダーシップ(始動力)研修」です。このように〈始動〉を重視する動きが広がって来ている実感があります。

 考えてみれば、世界を動かすのは人々の始動力です。アメリカの産業界の現状をみればそれを実感できると思います。いまアメリカ経済を牽引しているのはGAFAとよばれるような巨大なテック企業です。GoogleにしてもAppleにしてもMeta(Facebook)にしてもAmazonにしても、みな創業者が強烈な変革マインドを持って会社を立ち上げ、社会を大きく変えるビジネスを生み出してきました。

 いま最もぶっ飛んだ変革マインドをもっているリーダーはEVのテスラや宇宙開発のスペースXの創業者イーロン・マスクでしょう。破天荒な言動で知られるマスクは、決してマネジメント力が優れているわけではありません。彼の伝記を読んでも、部下の使い方などは滅茶苦茶です。そのかわり、とてつもない始動力があります。ですからテスラやスペースX以外にも、ツイッターを買収したり、チャットGPTを手掛けるオープンAIを元々アルトマン氏と共に設立したりしています。始動力のかたまりのような人物です。そういう人物が社会に革新をもたらし、経済を強力に動かしているのです。

 そういう始動力を持った人間が、人間的に素晴らしい人物かとか、幸せな人生を送れるのかというのはまた別の問題です。社会の絶えざる革新・進歩を推し進めるためには「空気を読み、周りの意見をよく聞いて」というマネジメントスタイルだけでは不十分なのです。始動力という意味でのリーダーシップと、的確な運営というマネジメント力の合わせ技が必要なのです。

 ホンダは創業者であり技術者の本田宗一郎を支える、藤沢武夫というマネジメントに長けた名参謀がいたからこそ、ユニークな製品で世界に名を轟かせるまでに成長しました。ソニーでは、天才井深大を卓越したマネジメント力で支えたのが盛田昭夫でした。その盛田昭夫は、リーダーシップも発揮し、ウォークマンの開発と発売が有名ですが、特にポスト井深の時期においては物凄い始動力を発揮しました。

 しかし最近の日本企業のトップはマネジメント系の人ばかりで、始動力が不足している人が目立ちます。自分のことを棚に上げて書けば、文系社員がうまくマネジメントして現状維持に汲々としています。だから革新が起こらないのです。

 リーダーシップを持つ人を日本全体で育てていかないと、停滞する社会を変革するような人物は出てきません。国としても社会としても静かに衰退していくことになります。

世界は始動力で満ちている

 世界を見渡してみてください。アメリカではトランプ前大統領が今年の大統領選で返り咲く可能性が取り沙汰されています。ロシアではプーチン大統領が再選されました。

 彼らが発揮しているのがいいリーダーシップか悪いリーダーシップかは意見が分かれるところですが(少なくとも私は好きなリーダーではない)、世界を揺るがす始動力を持っているのは間違いありません。そうした人達と対峙できないと、逆の意味での始動力(彼らの始動力を押さえて別の社会を作る始動力)を発揮することは無理です。

 翻って日本の岸田文雄首相はどうでしょうか。率直に言えば、リーダーシップを大いに発揮するタイプには見えません。社会を変革するというより、目の前に現れる課題を粛々とさばくのが得意なタイプではないでしょうか。

 そして、自民党内や官邸の現状を見ているとどうもマネジメント力が特に秀でているようにも見えません(チームをうまくまとめている感じも受けません)。そういう意味では、日本の先行きは、少なくとも政治面では、はなはだ心配です。

 もちろん始動力が必要なのは政治家や経営者だけではありません。多くの人が自ら動き出す力を持つことが、社会の変革や国の発展につながります。私もそのことを痛感しているからこそ、主宰する青山社中で毎年リーダー塾を開催しています。今年も間もなく(6月1日から)14期が開講します。真のリーダーシップを身に着けたいという方はぜひ青山社中のホームページを参照してください。

2019年5月末から青山社中で働く広報担当のnote。青山社中は「世界に誇れ、世界で戦える日本(日本活性化)」を目指す会社として、リーダー育成、政策支援、地域活性化、グローバル展開など様々な活動を行っています。このnoteでは新人の広報担当者目線で様々な発信をしていきます。