見出し画像

「手間かかるから大手に丸投げ」の発想がジャニーズ問題を生んだ ~五輪と電通、テレビ局とジャニーズ――大手丸投げの恒常化は利権の温床~

旧ジャニーズのタレントは「かわいそう」なのか

 今回は、ジャニーズ問題を題材に、現在の日本社会について考えてみたいと思います。

 ジャニー喜多川氏による性加害問題で日本の芸能界を席巻していたジャニーズ事務所が消滅するという事態になりました。記者会見での「指名NGリスト」の存在などもあり、連日この問題が大きく報じられていますが、そうしたなかで「亡くなったジャニー氏や事務所の問題なのに、事件とは無関係の所属タレントが批判されたり活動に影響が出たりしているのはかわいそう」という論調も散見されます。

 所属タレントの中にも、事務所の対応を見て、「勘弁してくれ」と発言したなどと報じられている人もいます。

 しかし、世間や所属タレントのそうした態度・発言は、日本社会ではあまり賛同を得られないと思います。

 ある組織において不祥事が起こった場合、不祥事と無関係のその組織の構成員が「俺は無関係だから」という態度をとったり、あるいは組織を批判したりする行為を、日本の社会風土はあまり好意的に受け止めてくれないのです。

 むしろ、その組織の構成員は、極端な場合、組織の不祥事を以前から知っていようが知っていまいが、そこに所属していた以上はある程度、責任を負わざるを得ないのが日本社会の実態です。今回のように知りうべき立場にあったのであるならなおさらです。

 本当にジャニー喜多川氏による性加害を全く知らなかったのならば同情の余地もあるでしょうが、この問題は、訴訟にもなり告白本や記事も複数出ています。ある程度、ジャニーズ事務所に在籍していたタレントならば「知らなかった」わけはないでしょう。少なくとも“噂”を耳にしたことが無いとは考えにくいと思います。自分が被害に遭ったわけではないタレントは、「知っていながら知らないふりをしていた」というのが実態ではないでしょうか。

 そうであれば、ファンの「タレントまで辛い目にあるのはかわいそう」というスタンスや、所属タレントの「自分は無関係なので、性加害問題で事務所がガタつくのは自分にとっては迷惑千万」という態度は、世間的には通用しないのです。

不正を働いていないビッグモーターの従業員に同情論はあったか

「そんなことないだろう!」と不快に思う人もいるかも知れませんが、ではこの問題を、修理依頼を受けた車を、整備工場でわざと傷つけたりして保険会社から受け取る保険金を膨らませていたことが明るみに出たビッグモーターの問題と比較してみましょう。

 まず大前提として、ビッグモーターに勤務する整備士の方全員が不正行為をしていたわけではありません。多くの整備士さんは真面目に整備をしていたのだと思います。しかしビッグモーター事件の報道が相次いだ時、「多くの整備士さんは不正を知らず、真面目に整備をやっていたのに、会社と一緒になって批判されて可哀そう」という議論はあったでしょうか。私は聞いたことがありません。

「企業と社員は雇用関係にある。ジャニーズ事務所とタレントは契約関係にあるだけだから、同一視するのは正しくない」と考える人ももしかしたらいるかもしれません。

 では政党と議員という関係を考えてみたらどうでしょうか。政党の党首が不祥事を起こした。その党に所属している議員は、社員でもなければ雇用されているわけでもありません。芸能事務所と所属タレントの関係に似ています。

 そして党首が不祥事を起こした政党に所属する議員は、「知らなかった」だけでは世間に許してもらえないはずです。離党すればいいか、と言えば、そういう問題でもない。

 きっと一般の党員や世間に対して「申し訳ありませんでした。党首の不祥事を見抜けませんでした」という姿勢を示さなければ、世間は納得してくれません。

 官庁でも同じです。時々、中央官庁の役人が「通勤電車内で痴漢をした」「不正に関わった」と報道されたり刑事事件になったりします。そういう時に、全く別の役人が「うちの省内でそういうことをした人がいたみたいだけど、自分は違う部署の所属なので全く関係ない」という態度はとらないはずです。少なくとも世間に対して「われわれの同僚がこのようなことを起こしてしまい、すみませんでした」という態度をとります。

 もちろん法的にそのような態度を示す必要はないのですが、そうしないと世間が納得しない。それが日本社会の情緒なのです。情緒と書きましたが、より正確に書けば、普段は組織の力を頼りながら、何か問題があると「組織と自分とは関係ありません」というわけにはいかないということです。

 自己紹介の際に「○○商事の××課の△△です」と名乗る日本人と、「I am a banker, now I work for ○○銀行」と名乗る欧米人とでは、個と組織の関係の近さが異なっており、特に組織の一員であることが大事になる日本では、組織と切り離しての個というわけにはいかないということです。

 ですからジャニーズ事務所の問題でも、ファンの方たちが「タレントの人たちが可哀そう」と思う気持ちはわかるのですが、「何となくジャニー氏の問題は知っていた、しかし、それには目をつむって、色々と得なのでジャニーズ事務所に所属して色々とチャンスを得ていた。しかし、いざ問題が起こった際には、私は関知していないので知りません」というわけにはいかないということです。それは日本の世間には通じにくいのです。

「不正なことをしていない」人の責任の取り方

 では、ジャニーズ事務所に所属していた個々のタレントは、どのような「責任の取り方」をしていくのがよいのでしょうか。

 一つは受け身の形ですでに行われていますが、一種の社会的制裁を甘んじて受けることです。要するに、性加害を行っていたトップが牛耳る芸能事務所に所属し、そのトップのプッシュにより芸能界での活躍の場を与えられてきたという事実を受け止め、そしてそのトップを君臨させるための支えになってきたということに対して、反省の態度を示すことです。そしてそのことに対する批判は甘んじて受けるしかありません。「ふざけんな。俺は何もしていないのに」という態度は間違いです。

 もう一つ、積極的な意味での責任の取り方としては、例えばタレントとしての知名度を生かして、ボランティアで今後は性被害が起こらない世の中づくりに貢献するといった活動をすることです。

メディアは絶対的に反省が足りていない

 反省はメディアの側にも必要です。告発本や記事、訴訟などの内容を分かっていながらジャニーズ事務所との親密な付き合いを続けてきました。それが、BBCがこの問題を大きく報じて国際的な注目を浴び始めるようになると、急に手のひらを返す。結局、メディアには自浄作用が欠如していることが明らかになりました。

 これは日本の組織に共通する問題です。問題の本質や根源に向き合わず、何となく反省の意を示してひたすら耐える、そのうちに風化して行く、という態度です。たとえばかつての日本の政府も多くの組織も、無謀な第2次世界大戦になぜ突っ込んだのか、そしてなぜ敗北したのかという総括をしてきませんでした。何が原因で何がいけなかったのか。大きな失敗をした時に、うやむやで終わらせるのが日本の組織の“習わし”で、何が失敗の原因だったのかをはっきりさせたり、誰かが責任をとったりということをしてこなかったのが現実です。

 ジャニー喜多川氏の問題を知りながらジャニーズ事務所との付き合いを続けてきたメディアは、事の重大さを認識しているのならば、今度こそはしっかりと総括を行い、責任の所在をはっきりさせるべきです。そうでなければ、ジャニーズ問題もワイドショーの賑やかしのネタとして一時的に消費しつくし、その後は忘れてしまうつもりだろうと批判されても致し方ないと思うのです。

 芸能界とメディア界を揺るがす大事件となったジャニーズ問題ですが、本当ならば、この問題が起こった構造的要因を分析し、同様の問題が二度と繰り返されることがないよう業界全体・社会全体で考えることが大事です。

放送利権の上にあぐら

 では構造的要因とは何だったのでしょうか。端的に言えば、それは「利権」です。

 ジャニーズ事務所に勢いを与えたのはテレビでした。テレビがジャニーズ事務所のタレントを積極的に起用し、視聴率を稼ぎ、それによってジャニーズ事務所と所属タレントも利益を享受してきました。

 そのテレビの力の源泉は、国民の共有財産である「電波」を独占的に利用できる放送免許です。電波という限られた資産を利用することを認められているテレビ局の番組プロデューサーは、誰を番組に起用するかを決める権限を持っています。オーディションで起用するタレントや俳優を決める場合もあるでしょうが、プロデューサーの独断で決められることも多いはずです。報道によれば、いくつかのテレビ局はジャニーズ事務所と特に昵懇だったと指摘されています。「とりあえずジャニーズ事務所のタレントを起用すれば、数字も取れるし、話題にもなる。オーディションなんていう手間もかけなくて済む」という発想がテレビ局側にもあったのではないでしょうか。

 こういう「放送免許」という利権の上にあぐらをかき、かつ安易に大手芸能事務所のジャニーズに頼るテレビ局の姿勢こそが、ジャニーズ事務所との利益共同体を形成しました。そして、ジャニー喜多川氏による性加害が一部で報じられたり裁判沙汰になったりしても、見て見ぬふりをするメディアの態度を生み出したのだと思います。

 事務所側の発表によれば、ジャニー喜多川氏から被害を受けた人数は、10月2日時点の判明分だけで478人にものぼるといいます。その人数は、日本の性犯罪史に残る多さと言ってよいでしょう。今回は男性による男性への性加害でしたが、芸能事務所とテレビ局との利益共同体が出来上がってしまえば、確率論的にはより被害を生みやすい男性による女性への性加害が恒常的に行われるような事態をも生みかねません。これは日本国民にとっても由々しき事態です。

 こういう社会の構造を変えていくには2つの方法がありうると思います。

 一つは、放送局の電波利権の価値をもっと下げることです。もっともこれはすでに始まっていると言えます。インターネットの高速化が進んだことで、それまで1対1だった通信が、放送局のように1対マスの使い方ができるようになりました。むしろ、1人のユーチューバーやインフルエンサーが世界中に何百万人ものファンを持つような時代となり、テレビとの逆転現象さえ一部では生じています。つまり、放送がマスを相手にし、電話などの通信は1対1、という常識が完全に覆り、放送と通信の垣根は事実上なくなっています。

 こういう流れが進めば、“放送利権”の価値はどんどん下がります。これまでのように、利権の上にあぐらをかいた商売の仕方は不可能になってきます。ジャニーズ問題は、時代の転換点における最後の大事件ということになっていくかもしれません。

なんでもかんでも「大手」に頼り過ぎ

 もう一つは、政府や自治体、大企業などが“大手”に頼る構造を変えることです。

 東京オリンピックを思い出してください。組織委員会は様々な業務を大手広告代理店の電通に投げて、任せました。そうなれば当然そこに利権が生まれます。実際、オリンピック後、電通の元幹部らが談合の疑いで逮捕されるという事態を招きました。利権は不正の温床になるのです。

 しかし、“大手”に頼らなければこうしたことは起きません。オリンピックは滅多にない機会だけに、政府の方にノウハウがなかなかなく、巨大イベントに慣れている会社を頼らざるを得ない面があったとも思いますが、普段の広報宣伝活動は特にオリンピックのケースとは違います。政府や自治体、大手企業が広報宣伝活動をする際に起用するタレントを、大手芸能事務所や大手広告代理店に頼んでアテンドしてもらうのではなく、ある程度自分たちで判断して起用したり、時には発掘したりするような力を持つべきだと思うのです。

 特に政府や自治体は、公平・公正な社会変革を図るという大きなミッションも本来持っています。大手でない事務所のタレントや、個人でユーチューバーとして活躍している人などの中から、自分たちの広報・宣伝のテイストに合う人を探すことは使命とすら言えます。新たな人たちのチャレンジの場を、政治や行政がある程度担保することは重要です。そのためにも、発注する側にも一定の知見・能力が必要なのです。

 一般論として、自治体の中には、製品やサービスを調達するときに、「ベンチャー(企業優先)発注」や「トライアル発注」という制度で、大手以外に積極的に発注する制度を取り入れているところもあります。「大手だから安心」というのではなく、できるだけ新規の事業者、ベンチャー企業に発注することで、そうした新たにチャレンジする企業の育成につなげていこうという取り組みです。

 発注する側の手間という点から見れば、大手にポンと発注したほうが楽なのは間違いありません。しかし、手間を惜しまず、新規の事業者やベンチャー企業の能力や意欲を見極め、積極的に起用していくようになれば、社会や経済は活性化されていきます。担当者の手間がかからないことを優先しすぎると、例えば大手の広告代理店、大手の芸能事務所に任せきりになってしまい、マンネリ感のある製品やサービスしか享受できなくなりますし、前述のようにそこに利権が生まれる余地が出来てしまいます。

「効率」を求めすぎて組織が弱体化していないか

「大手に丸投げ」の仕事の作法は、バブル崩壊以降に企業が積極的に取り組んだ「アウトソーシング」の流れにも合致した動きでした。それ自体は業務の効率化に寄与するのだと思います。

 しかし、それが過度に進み過ぎると、本体は単にフワッとした意思決定部門だけになってしまい、その他の業務を行う手足、さらには頭脳の部分まで外部に依存することになってしまい、本体組織の弱体化につながります。その弊害が、いま日本社会の様々な部分に出てきているような気がしてなりません。政府が政策づくりを外資系などを中心とするコンサル企業にどんどん投げていることも不安要因です。

 今回のジャニーズ問題も、その潮流の中から出てきたという側面があります。なんでもかんでも「外部に丸投げ」が本当に良いことなのか、われわれがジャニーズ問題から学ばなければならないのはそこではないでしょうか。

2019年5月末から青山社中で働く広報担当のnote。青山社中は「世界に誇れ、世界で戦える日本(日本活性化)」を目指す会社として、リーダー育成、政策支援、地域活性化、グローバル展開など様々な活動を行っています。このnoteでは新人の広報担当者目線で様々な発信をしていきます。