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世界では当たり前の「ライドシェア」、日本の反対論者を納得させる方法

深刻なドライバー不足

 現在、都市部でも地方でも、ある大きな問題が浮上しています。それは「タクシーがつかまらない問題」です。

 都会でも大変なのですが、地方のほうがより深刻と言えるでしょう。観光地では訪れた海外からの観光客を運ぶ手段がない有様ですし、過疎地では高齢者の方々の「生活の足」がない状況です。

 原因はタクシーの「ドライバー不足」です。

 なぜ全国的にタクシードライバーが不足する事態に陥っているのでしょうか。そこには構造要因とコロナ要因があります。

 構造要因は地方で顕著なのですが、人口減少に伴って就労人口全体が減少しているということです。ただそれだけでは説明できません。

 タクシードライバーの数は2019年の29万人から23年には23万人に減っています。わずか4年間で一気に2割も減少しているのです。4年で日本の人口が20%も減っているわけではないので、構造要因以外の理由もあります。それがコロナ要因です。

コロナショックで職場を離れた従業員が戻ってこない

 飲食業界でも言われていることですが、コロナショックで需要が消失した際に、従業員を整理しなければならないお店がたくさんありました。そして現在、コロナショックが収まり、需要は回復しましたが、辞めたり辞めさせられたりした従業員は十分に戻ってきていないのです。

 地方へ行くほど顕著ですが、飲食店や介護施設、下請け工場などの従業員への報酬は最低賃金ギリギリの水準で抑えられていました。それが日本のデフレ構造を支える要因にもなっていました。

 そういうギリギリの賃金に甘んじていた人たちが、コロナ禍で仕事を離れました。その後、もっと高い賃金の仕事に就いたり、あるいは高齢で年金ももらっている人ならばリタイアしたりということで、飲食や介護などの現場に戻ってこなくなってしまったのです。タクシー業界も同じです。これが現在のタクシードライバー不足の原因なのです。

 そういう状況ですから、いくら供給を増やそうと思っても限界があります。となると、ドライバー不足解消の方策はライドシェアしかないのです。

 こうした状況下、改革派の菅義偉前総理の発言・進言なども影響したと言われていますが、岸田文雄総理も重い腰を上げ、年内をめどに方向性を出すと国会等で明言しています。自民党の小泉進次郎議員や立憲民主党の荒井優議員など、超党派の議員たちが勉強会を発足させて、議論を加速させたりもしています。しかし、なかなか一筋縄では進まないとも言われています。

東南アジアでもライドシェアは「常識」

 世界の現実を見るとライドシェアはもう当たり前です。例えば私は仕事でベトナムによく行っていたのですが、大経済都市のホーチミンでも10年ほど前は、タクシーのドライバーに目的地を告げてもすんなり到着することがなく、変なところに連れていかれたり、大きく遠回りされたりして、よく運転手と口論になることがありました。

 それが数年後にはカーナビ搭載のタクシーが当たり前になり、さらに2019年の暮れに行ったときには、配車アプリ「Grab」を利用したライドシェアが当たり前になっていました。有償のライドシェアは、日本的に言えば「白タク」で違法となりますが、かつては日本より下に見ていた東南アジア各国ですら配車アプリの活用が日常風景となっており、送迎サービスがスムーズに提供されていて、とても便利になっています。

 ホーチミンの例が示すように、ライドシェアはもはや世界中で常識です。配車アプリは東南アジアではGrab、アメリカではUber、中国ではDiDiがスタンダードになっています。

ライドシェア慎重派の論理

 そうであれば、日本でもこうしたライドシェアのサービスが普及してもよさそうです。SNSなどのように、欧米など世界で流行ったものが、数年遅れで日本にも入ってきて、社会に定着するというものがいくらでもあります。

 ところがライドシェアに関しては、各国で標準となり、わが国でももう10年くらい前から導入の必要性が指摘されながらも、日本にはまだ入ってきていません。なぜかというと、関連の運輸サービスや運輸行政に関わる人からの反対が強いからです。

 彼らが反対する理由の第一は「安全が十分に担保できないから」です。これがタクシーならば、安全性を担保するさまざまな取り組みが行われています。タクシー会社は運転手に対し乗車前にアルコール摂取していないかを厳密にチェックしていますし、車は毎年車検に出すことが義務付けられています。もちろんタクシードライバーは日々の車両点検もきっちりしています。もちろん自動車保険への加入は当たり前です。

 そういうコストをかけたうえでタクシー料金は設定されています。

 こうした安全性の部分が、ライドシェアになると、十分に担保されない可能性が出てきます。もちろん一定のルールは課すことになると思いますが、「一杯くらいならいいか」とお酒を飲んで運転するドライバーが出てこないとも限りません。自動車保険や安全点検についても、ライドシェアのユーザー側が「この車、ちゃんと保険に入っているのかな」「事前の安全点検は十分なのかな」などとチェックすることはできません。

「いい加減な運転手の参入を防ぐ仕組みはできるのか」、「安全はちゃんと担保できるのか」、「価格競争に走って、安全性の確保にかけるべきコストを削ってしまうのではないか」。業界の実情を熟知していればいるほど、そうした懸念がいくらでも頭の中に浮かんでくるのです。

 ですからタクシー会社の人々や国土交通省の旧運輸省系官僚は「ライドシェア反対」に傾いてしまうわけです。これが日本でライドシェアが普及しない大きな原因です。

 しかし、タクシードライバーの不足解消の妙案もありません。やはりライドシェアしかないのも事実です。実際、欧米、中国、東南アジアなどで当たり前となっているサービスなのに、日本だけが乗り遅れているという現実もあります。

 では、どうしたらライドシェアのような新しいサービスが、規制の壁をクリアし、日本でも普及できるようにもっていけるでしょうか。そこには、現実解と、時間はかかる根本的解決策の二段階の取り組みが必要だと私は考えています。

タクシー業界も霞が関も納得させる方法

 一段階目は、現実解ですが、私自身が公務員だったのでよくわかるのですが、公務員が「こうすべきだ、この規制は守るべきだ」などと考えていることで、ものごとがデッドロック・膠着状態に陥っている場合には、まずは中間的解決策を考えていくべきなのです。

 たとえばライドシェアの場合の中間的解決策として私が想定しているのは、価格規制は残したまま台数規制を緩和してライドシェアを導入する、というプランです。

 基本的にライドシェア導入に反対している人が、その根拠として最も強調しているのが安全性の問題です。しかし業界側の本音の部分には、ライドシェアへの参入者が多くなって、タクシーとの競争激化による価格崩壊が起きたら困る、という思いが強くあります。

 であるならばその価格崩壊の懸念を解消してあげればよいのです。「ライドシェアの料金も今のタクシー料金の水準を保ちます。タクシーの供給が足りていないので、ユーザーの利便性向上のためライドシェアを解禁しますが、価格は維持していきます」。そういう制度設計の元でライドシェア導入を打ち出せば、タクシー業界もライドシェア参入を狙う人々もお互いに納得できるのではないでしょうか。中長期的な警戒感が強い場合は、現在も公共交通の空白地帯での有償運送は認められているわけですが、よりその対象地域を拡大していく(タクシーがなかなか捕まらない都市地域も、広義の「空白地帯」としていく)などが考えられます。

 消費者は、価格が一緒だったら、製品の質のいいものを利用したがります。タクシーとライドシェアの料金が一緒ならば、安全性チェックや保険などクオリティが担保されていると思われるタクシーから使いたがるはずです。ですから、価格維持政策をしながらライドシェアを解禁すればタクシー業界にも大きな実害が発生しません。反対する大きな理由はなくなることになります。これが第一段階目の解決策です。

規制緩和・撤廃の要望が潰される実態

 取り組みの第二段目は、行政の大改革です。

 今のライドシェアの事例でも理解していただけたと思いますが、日本で新しいサービスを始めようとするときには、多くの場合、何らかの規制改革が必要になります。そして規制を変更する・緩和する・撤廃するということには大きな困難を伴います。もちろん規制にはそれなりの存在根拠・必要性があるものなのですが、一方で、あつものに懲りてなますを吹く的な過度な規制があるのも事実で、日本社会の活力を削ぐ一面もあります。

 日本の規制改革の「大玉」としては、農業・農地関連の規制や医療関連の規制、教育関連の規制問題などがあります。現在それらの分野に携わっていて何か新しいことを始めようとしている人、あるいはこれから新規参入を考えている人からはしばしば「規制があって思うように活動できない、この規制を緩和・撤廃してほしい」という要望が出てきます。

 そうした要望は、政府の規制改革推進会議の事務局などに持ち込まれます。すると事務局から、その規制を所管する担当省庁に対して「この規制、撤廃できないか」と打診がなされ、交渉に入ります。仮にライドシェアに関してだったら、国交省に打診が行くわけですが、担当する官僚から「安全が担保できないからダメです。事故が起こった場合に責任は取れるんですか?」などと言われて、緩和できない――という流れになるわけです。これが規制改革がなかなか進まない実態です。

 ライドシェアに限らず、日本全体で規制を緩和して経済を活性化していこうと思うと、そこに規制をする側の省庁が立ちはだかってしまう。必ずそうなります。悪気で言ってるのではなく、無謬性や安全や安心の完全なる担保など、「別の正義」がそこにあるからです。そういう確固とした信念や理屈もあるため、規制をする側の省庁が「強すぎるから」ということになります。

規制緩和が進まない根本原因を取り除け

 規制緩和を推進しようとする事務方は、一般的には、内閣府の規制改革推進会議の事務局くらいです。内閣府にあるので権威だけはある感じですが、実は、霞が関の組織としてはかなり小ぶりです。それに対し、各省庁は人員も多いし態勢もしっかりしている。バックには各業界もついている。先述のとおり別の正義や信念もある。とても太刀打ちできないのです。

 だから本質的に規制改革を進めようと思うのならば、霞が関を大胆に2つに整理し、産業規制庁と産業推進庁を作り、その傘下にそれぞれ農水担当、国交担当、厚生労働担当……を置くのです。同じくらいの規模で産業規制庁と産業推進庁をつくり、一方が国民の安全・安心をしっかり守る側、もう一方が規制を緩和して経済を活性化していく側で、農業問題なら規制庁と推進庁の農水担当同士でバトルする、医療問題なら厚労担当同士でバトルする……という体制にするのです。

 現在の霞が関では、同じ役所の中に規制側と推進側が同居していますが、上記の内閣府や経産省の一部部局を除けば、推進側が総じて弱い状態です。農水省、厚労省、文科省、国交省などは、行政の目的が国民の安全・安心を守るという規制側に大きく偏っています。こういう構造が日本で規制改革が進まない原因になっているのです。

 デジタル技術やAIの発達で、われわれをとりまく産業もサービスも驚異的なスピードで変化しています。また少子高齢化の進展で、これまでにない視点の行政サービスが必要になってきています。かつては放っておいても日本経済・日本社会が右肩上がりに伸びていたので、ブレーキを強めに設定しても、むしろ、強めに設定するくらいで丁度バランスが取れていた面があります。しかし今は、経済的・社会的に日本は沈みゆく国となってきてしまっています。

 それなのに霞が関の仕事の重心が「規制重視」に偏っているままでは、日本はどんどん世界の趨勢から遅れた国になってしまいます。国民に適切なベネフィットを提供するためには、テクノロジーの発達にしっかりついていき、必要に応じて柔軟に安心・安全を守る規制と、活力を推進していく規制緩和を打ち出せる行政に変わっていかなければならないのです。

2019年5月末から青山社中で働く広報担当のnote。青山社中は「世界に誇れ、世界で戦える日本(日本活性化)」を目指す会社として、リーダー育成、政策支援、地域活性化、グローバル展開など様々な活動を行っています。このnoteでは新人の広報担当者目線で様々な発信をしていきます。