自由はどこにあるのか、自由とはなんなのか、それは知らん
今日職場でお掃除をしていた時に見つけた子どもの落書きにそう書いてあった。
縦書きで。3行。それぞれ文字の書き方が違ったから別々の子が書いたのかなと思う。きれいな字とは言えない、小学3、4年生といったところか。
大人になってからしばらく経つ私も分からないのに。そんなこと考えるんだ。ふーん。
自由とは全ての責任を自分で負うこと、とたまに聞く。まぁ、そうなんだろう。
昔会社勤めしてた頃は自由になりたかった。毎日が苦痛。自分でもなんの仕事してるか分からないくらいテンテコマイだった。
今、結婚して、会社を辞め、専業主婦からのパートタイマー、毎日何かしらやることがあって小忙しい(こいそがしい)。
会社勤めの頃よりやることは多くなったのに精神的にラクなのは自由度が高いからだろう。何をするも自由、私が決めて、私が全てやる。
制限という囲いの中で「ここは自由に使っていいよ」という場所を作ってそこで遊ぶのが結局1番気持ちいいと思う。人間って縛られたがりちゃんだよね。1人になりたいかまってちゃんであり、寂しがりちゃんであり、縛られたがりちゃんであり、縛られた中で自由に暴れ回りたがりちゃん。
さぁ、そんなわたくし縛られた中で自由に暴れ回りたがりちゃんは、やらなきゃ行けないことをやりきったので、つかの間のアニメタイムに入ります。ダンジョン飯。
自由はどこにあるのか、午前に仕事を終えて午後2時くらいから夕方5時くらいまでの中にある。
自由とはなんなのか、お菓子食べてジュース飲んでアニメを見ること。
ずっとそれで幸せなのか、それは知らん
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