0415 認めたくないけど認めていいのかも。
朝4時頃に猫に起こされて、二度寝したら8時半だった。
昨夜は、わたしがリビングでクリストファー・ノーラン監督作『ダーク・ナイト』を見ていたので(ネトフリ)、夫は寝室で白井聡さんの『永続配線論』を読みつつ、寝落ちした模様。
それで夜中の3時頃に目を覚まして、ワインを飲みながら本を読んでいたらしい。4時半頃に再び就寝。まだ起きない(10時を過ぎた)。
生活のリズムが夏休みのようになっている。
しばらくは狂っても仕方がないとあまり気にせず、帳尻だけ合わせていこうと思う。
どう合わせていいのかまだ見当がつかないが。
今朝、こんなツイートが流れてきた。
80を過ぎた元精神科医のお父様の書かれたメッセージだそう。
40年ほどのあいだ、法務省で罪を犯した少年少女の立ち直りを支援してきたと綴られている。
わたしがああ、この人、ほんとうに現場で声を聞いてきたのだなと感じた一文がある。
「ペットは邪魔してきていませんか」
わたしは一緒に暮らしている猫を溺愛していて、ばかのように猫の機嫌をとって毎日を過ごしているのだが、このところ、日中はあまり家にいない夫が狭い空間に存在することがストレスなのか、猫がものすごくよく鳴くようになった。
不安そうに、不満げに、自分でもどうしていいのかわからないけどにゃー。
仕事のメールを打ち込んでいても、電話のやり取りをしていても、夫のいるリビングではなく、にわか拵えの寝室にあるわたしのデスクを訪れて、ただ鳴き続ける。
これがけっこう堪える。
作業を中断して、どうしたのかと訊ねて、どこかに移動するならついていって、やりたいことがあれば満たしてやる(洗面台で水を飲むとか)。
そうではない、何を求めているのかわからないときが結構辛い。
自分の欲望を満たすことができないよりも、身近な大切な誰かの欲望を満たすことができない方が、小さなボディブロウを受け続けるように、なんだかメンタルにくることを知った。
こういうときだから、ペット(うちだと猫。ペットというより仲間)には助けられる。何をしてもかわいいんだけれど、それだけではなくなってくる。
家庭内のイレギュラーな状態は、そういうフェーズに突入している。
猫はこれまでどおり、狂おしくかわいいのと同時に、わたしを攻撃する存在でもある。
「ペットは邪魔してきていませんか」
猫がわたしを邪魔することがポジティブに受け取ることができない(単純にかわいいと思えない)ことは、とてもきつい。認めたくない。そんなふうに感じる自分がひどい存在にも思える。
でも、いまはしょうがないんだな。
起こりうる心の変化なのだな。
「たとえ」さんのお父様が小さな声だけど、そっとわたしを肯定して背中をなででくれたような気がしている。
【今日のおどろき】
明石焼き(玉子焼き)は、どんなにぐちゃぐちゃでも、最終的にきれいに丸くなる。昨夜のばんごはん。