見出し画像

0513 食べて欲しいけれど。

猫はどんどん少食になり、食べてもやはり体外に排出してしまう。

今朝は2.2キロ。

5時に目が覚めて、リビングのソファのお気に入りの場所でまどろんでいた猫に、スープをすこし温めて飲ませる。ほんのすこし舐める。

カリカリは何種類か出すが、喉をぐるぐるいわせるのだけれど、食べない。昨日は3粒4粒食べたものもあるので、またあとでほかのものを試してみよう。

食欲がまったくないわけではなさそうだけど、しんどくてあまり量が食べられない。そんなふうに見える。

母の末期がそうだったからだ。
またホスピスでお会いしたみなさんもそうだった。

だから食べたいものを少しでも口にしてくれたら。
それがいちばんだと思っている。

シリンジで栄養剤を与えようとしたこともあったが、あまりに嫌がり、それで体力を奪いストレスをかけているように思えて、やめた。

ホスピスでお会いしたなかでも、そういうことがなにより辛かったと泣いて話してくださった方もいた。
食べたくないのに、無理に押し込められるような気がして。

尊厳の問題だとも思う。
猫にも尊厳はある。少なくとも彼女には選択権と自由に生きる権利がある。それは奪いたくない。もちろん生存権もある。すべてをわたしが保障したい。

ここ数日で、鼻のまわりに黒いシミのようなものが増えた。左右の瞳孔も大きさが違う。

しんどいんだろうなあ。
猫はしんどいとひと言も愚痴らず、そばによると喉をぐるぐるごろごろと鳴らしてくれる。

こんなに優しい猫がずっとそばにいてくれたなんて夢のようだ。

12月にそうであったように、もう一度もちなおしてくれるのかもしれない。
もちろんそのことだけを願っている。

でも、どこかでこれだけ頑張ってくれたうえに、まだしんどいのに頑張ってもらうのはかわいそうにも思う。

すべては猫が自分で決めるのだ。
できる限りのことはしてあげたいけど、正直いえばお金とかそういうもので解決するなら、借金してでも迷わわずできることをしたいけど、そういうものでもない。

生死の前にできることは少ない。
いつも思う。
少ないけれど、生きてくれている限り、まだできることがあるのだとも。
そういう時間を猫はわたしにまたくれている。

かしこい。
ほんとうにかしこいなあ。